運ゲーであることによりティミーやジェニーの居場所ができるというだけでなく、スパイクの間でも「勝率が5割を超えていれば良い」という層と「勝率は6割を越えていなければ駄目」という層が存在し、それぞれによって「自分の戦術そのものの失敗率に対して看過出来るライン」が変わる。ポケモンでいう「ハイドロポンプの命中率が80%であることを許容出来るか否か」問題である。そしてこれらが複雑に絡み合うことで「単に運が悪かっただけ」で勝敗の結果を語ることができなくなっていく。
運要素を減らせば減らすほど、結果として一つ一つの運要素は「戦術的多様性の結果」ではなく「純粋なサイコロ賭博の勝ち負け」として表出していくのである。
運ゲーを嫌う人間が考えるべきは、思いついた運要素全てに石を投げることではなく、むしろ運要素の幅自体を広げて運によるって勝敗が支配されてしまう事実への印象を薄める方向への調整を望むことなのだ。
これはボードゲーマーの間では20世紀の段階で既に常識となっているのだが、TCGゲーマーやデジタルゲーマー達はいまだにこの事実を理解できないまま21世紀を既に20年も過ごしてしまっている。
あまりにも哀れなので知識を共有させてやろうということでこの増田を書いた次第である。
感謝せよ