2019-12-07

運要素の数を減らせば戦術の幅が狭まりかえって運ゲーになるのはもはや常識

運ゲーであることによりティミーやジェニーの居場所ができるというだけでなく、スパイクの間でも「勝率が5割を超えていれば良い」という層と「勝率は6割を越えていなければ駄目」という層が存在し、それぞれによって「自分戦術のものの失敗率に対して看過出来るライン」が変わる。ポケモンでいう「ハイドロポンプ命中率が80%であることを許容出来るか否か」問題である。そしてこれらが複雑に絡み合うことで「単に運が悪かっただけ」で勝敗の結果を語ることができなくなっていく。

運要素を減らせば減らすほど、結果として一つ一つの運要素は「戦術多様性の結果」ではなく「純粋サイコロ賭博の勝ち負け」として表出していくのである

運ゲーを嫌う人間が考えるべきは、思いついた運要素全てに石を投げることではなく、むしろ運要素の幅自体を広げて運によるって勝敗支配されてしま事実への印象を薄める方向への調整を望むことなのだ。

これはボードゲーマーの間では20世紀の段階で既に常識となっているのだが、TCGゲーマーデジタルゲーマーはいまだにこの事実理解できないまま21世紀を既に20年も過ごしてしまっている。

まりにも哀れなので知識を共有させてやろうということでこの増田を書いた次第である

感謝せよ

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