人一人の生命の価値は永遠に生きる神々と違い、その寿命によって平等が確保されている。人間の寿命では何かをなすためには短すぎる。大きな歴史の流れの中で個人の貢献度はたかが知れている。卑屈とは何か。その答えはこの極大の視野を持てるかどうかにかかっている。人と自分を比べること、また比べさせること。卑屈さとは自分が抱く感情ではない。他人が感じる。そして当然のように他人を卑屈だと罵るものは自分の卑屈さを相手の卑屈さにすりかえる。自分の価値が他人の価値より低いと感じた状態を卑屈という。そして大半の人間は心の底で相手のほうが優れていると感じたときでさえ、虚栄によって自分のほうが優れていると喚く。実際にどちらが優れているかに関係なく、自分と他人の価値を比べる仕草こそが卑屈を生み出すのである。
極大の視野をもって誰もが平等だと心の底から思えること。謙虚さとは美徳であり、また美徳とは得難いために美徳として認識される。当然のものとなれば美徳などと言われてもてはやされることもない。そして美しい公平な心はそれ一つで他のすべての正しさを保証するわけではない。実際、学ぶところの多い相手と少ない相手は区別することが可能である。極小の視野を持てば人間の価値は明らかに異なる。これまで蓄積したものの大きな違いがあるのだから。