食べ物を美味しいと思うこと、スポーツをすること、好きな異性と一緒にいること、などなどで人は自分が主体的に幸せを感じていると信じて疑わないが、これらは所詮体内のある化学物質の増減が脳を気持ちよくしているだけにすぎない。
恋人と一緒にいられるから幸せなんじゃなく、セロトニンが増えたから幸せなのだ。裕福になれたから幸せなんじゃなくて、セロトニンが増加したからなのである。
身体は遺伝子の乗り物、とはよく言ったもので、人が幸せを感じるのは、種が存続するために好ましい行動を身体がするために遺伝子がそう仕向けているだけなのだ。ゆえに幸せであることも誰かを幸せにすることも本当は、本質的には重要じゃないと言える。すなわち、生きる理由は本能が生きようとしてるからというだけである。
のうのうと幸せを謳歌している人は気づかないが、これに気づき、深く考えてしまったひとはまさに不幸せである。自分が生きる意味が一切無いことが明らかになるわけだから。
そこで、人類は宗教に逃げた。問答無用で正しい存在、全てを超越する最強の存在として「神」を仮定したのだ。神の言うことは絶対に正しい。神は金科玉条である。神が自分を作った、その一点で自分の存在意義が担保されてしまう。
このように宗教にすがってしまった人は考えることをやめ、思考、逡巡を停止した人である。私は、このような、言ってみればチートプレーをすることなく、生について考えていきたい。( 厂˙ω˙ )厂うぇーい
逃げたっていうか、考える時間がもったないから