ただなんとなく、「つゆだく」って言いたいだけでしょ。
俺は、玉子に醤油と七味を入れて溶かしてぶっかける。だからつゆはいらない。
牛丼+玉子というのは、醤油と七味をいくらでもかけて良いという免罪符なんだよね。
そこがわかった上で「俺は醤油と七味をかけたいわけじゃない」という気持ちを表明するためのつゆだくだと思うんだけど、そこまで考えてないでしょ。
すると、めちゃくちゃ食いづらいわけよ。
それでね、つかっちゃったよ、レンゲ。牛丼をレンゲで食うとか牛丼の全否定かよっておもったけど、食べづらさを考えたらつゆだくはレンゲじゃないと掻き込んで食べるしかないから、「あぁ、何も考えずにつゆだく頼んでしまった奴への救いなんだな」と思った。そういう意味で「レンゲ」の心遣い、優しさ、そういう物を知れたから俺の「つゆだく」は「活きたつゆだく」だったと言える。
でも、大半の人間がなにも考えずに「つゆだく」を頼んでいる。それは「死んだつゆだく」なんだよね。
と思うかも知れないけど、牛丼屋とはそうであるべきだと思うよ。
昼間に昼食休憩が10分しかない…ここで牛丼を選んで「俺の食べる速さを考えたらつゆだくにしてさらっと流し込むべきだ」という判断のつゆだく。
そういった、つゆだくを頼むときの事を考えないとレンゲの心遣いに失礼だと思わないか。
相手はこちらに対して要望に答えようと万全の体制で挑んできてくれているのに、本気じゃない注文なんて不誠実だろ。お客様は神様じゃない。挑戦者であってほしい。
そうやって、店と挑戦者の一騎打ちで食うか食われるか、それこそが牛丼屋ってやつじゃないのか?
そこで自分の挑戦を完遂出来たものが「今日の昼は牛丼を食べた」といえる。胃にただいれるだけなら牛丼屋じゃなくてもいいんだからさ。
大半の人間がつゆだく頼んだりしてるわけないだろ、やりなおし
俺玉子かけるのって苦手なんだよね 切れ目から垂れた黄身が皿に付着するのにどうしようもない嫌悪を感じる いつ玉子を崩すのか、玉子を混ぜるのかもわからないし
汁だくじゃなくて別汁がいいのにな
汁だくなぞ愚者の注文。ノーマルに七味のみをかけてかっ込むのが正しい作法。