女が家事をやるべきという女性を抑圧する風潮へのカウンターとして男女で家事をすべきという言葉が叫ばれてきた。
それ自体が悪いとは思わない。少し前までならば。たしかに悪しき風潮だったしそれを正すために必要な主張だったからだ。
ただ本当は間違っているし、今はその主張をすべきではない。ナンセンスで時代遅れだ。
もともとその主張は女性も働くようになった時代では現実に即しておらず抑圧されて生きる女性のためにされたものだ。だが現代では画一的にそうすべきと叫ぶことは新たな抑圧を生み出すだけだ。男女平等をある程度達成し、その後に私達は男女平等を含めてより広く抑圧を減らす多様性を認める世界を目指している。その最中にあって、画一的な男女の家事分担、男女というくくりでの仕事の強制を叫ぶのは完全に間違いだ。あらたな抑圧や不幸を生み出すだけだ。
現代では、さまざまな人々、家庭、生き方があり、それらを認めることで多くの人々がより自由により幸福になれるようにと考えるべきなのだ。私達はいろいろなものを乗り越えてこの考え方に行き着いたのだ。
私達は男女ともに働きともに家事をやってもいいし、片方が専業で家事を行うならそれでもかまわない。もちろん片方が専業で家事を行う場合であっても、パートナーは家事を分担してもいい。
それぞれの環境にあわせて最適な形を模索すべきなのだ。それぞれの事情は異なるのに、勝手に外野や時代が画一的なやり方を求めることはなんの解決にもならないのだ。
いまはそういう時代だからと強制的な男女の作業分担を唱える人々は、女が家事をやるべきと唱える人々と同じことをやっている差別主義者だ。同じ不幸を生み出そうとしていることに気づくべきだ。