なぜ、自殺願望を抱くのか。なぜ、死にたいと思うのか。理由など簡単だ。「死にたいから」以上だ。それ以外に理由などない。死にたいというワードは、それ自体で完結する。「命を大切に」というのは全く響かない。それは、健常な人々の上から目線の先の偽善的フレーズであり、おおよそ胸に響くであろうと考えた挙句、当たり前のことを言っているに過ぎない。末期がん患者に、「お大事に」というくらい失礼だというのがまだ分からぬか。
また、死にたいという人間に出来ることは、何か。話を聞いてあげることか。違う。今にも死のうとしている人間に、百の優しい言葉をかけても、虚しいだろう。もっとも確実な方法は、これしかない。「身体を拘束すること」入院させるか、365日24時間監視し、服薬管理させるか。いいか、人間の感情は、抽象的な、まるで、イデアのようなものではない。単なる神経の発火だ。死にたいという感情は、脳の神経の発火。ストレスのない静かな環境に置き薬を飲むことで消える神経の発火だ。
だから、死にたいと思った人もこう考えて欲しい。申し訳ないが、あなたのその死にたいという感情は崇高でも何でもなく、ホモ・サピエンスの脳という器官の神経発火だということを認識し、今すぐ、精神科へ行くことだ。
人間の感情は、その程度のものだ。精神科に行き、その自殺願望が消えれば、快楽という素晴らしい神経発火も復活する。死んで、脳の機能を止めるより、生きて、快楽という神経発火を楽しむことを強くお勧めする。