2018-06-06

自由校風落ちこぼれ

高校の話だが、非常に自由校風だった。

授業が休講になればその時間は何してもいいし(コンビニとかカラオケとか行く人もいた)、下校時間とかはなく何時までも居残れた。

しか自由校風の裏にはやはり短所もあって授業中に寝る人は多いし、スポーツ大会部活ばかりで全勉強してない人も多かった。

その自由校風に引きづられて勉強しなくなった人はあの高校落ちこぼれていった。

自分もそのうちの一人で受験ときにはかなり苦労した。

最近高校の進学実績が落ちているという話を聞いた。

あれだけ勉強しない人が多いのなら当然のことだし、厳しくすればもっと実績は良くなるはずなのにと思った。

それだけのポテンシャルを持った人が多かったとあの当時を振り返って感じる。

しか就職活動をしている内に考えが変わってきた。

あのとき学校がやっていたのは精神エリートの選別だと思うようになったのだ。

きっと他の進学校みたいに勉強漬けの生活だったらきっと高学歴と呼んでもらえる大学に受かっている人も多かっただろう。

しかし人に強制された勉強絶対に身につかない。大学に入った後には積極性を持った自主的勉強が求められる。

あの高校で育てられたのは大学に受かった後、さらにその先で必要精神的な自立性であったと今になって実感できる。

あの場所で結果を出す人間はその先でも第一線で活躍するのだろう。

一方でその精神的な自立性を持てなかった人は高学歴というステージに立つこともなく、その先も似たような人生を送ることになるのだと思う。

彼らのポテンシャルを考えると、校風に引きづられて落ちこぼれるあのシステム残酷だったと感じる。

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