授業が休講になればその時間は何してもいいし(コンビニとかカラオケとか行く人もいた)、下校時間とかはなく何時までも居残れた。
しかし自由な校風の裏にはやはり短所もあって授業中に寝る人は多いし、スポーツ大会や部活ばかりで全勉強してない人も多かった。
その自由な校風に引きづられて勉強しなくなった人はあの高校で落ちこぼれていった。
あれだけ勉強しない人が多いのなら当然のことだし、厳しくすればもっと実績は良くなるはずなのにと思った。
それだけのポテンシャルを持った人が多かったとあの当時を振り返って感じる。
あのとき学校がやっていたのは精神的エリートの選別だと思うようになったのだ。
きっと他の進学校みたいに勉強漬けの生活だったらきっと高学歴と呼んでもらえる大学に受かっている人も多かっただろう。
しかし人に強制された勉強は絶対に身につかない。大学に入った後には積極性を持った自主的な勉強が求められる。
あの高校で育てられたのは大学に受かった後、さらにその先で必要な精神的な自立性であったと今になって実感できる。
あの場所で結果を出す人間はその先でも第一線で活躍するのだろう。
一方でその精神的な自立性を持てなかった人は高学歴というステージに立つこともなく、その先も似たような人生を送ることになるのだと思う。
東...