今年27才。
30才になったら死のうと思っている。
よくある、人生に悲観しての自殺ではない(と自分は思っている)。
周囲の人間にもそれなりに恵まれてるし、学業も仕事もちょっと頑張れば平均よりは上にいけたし、まあまあいい会社で働いてるし、友人や恋人(?)とも問題ない。
5年ぐらい前からだと思うけれど、
世界とか宇宙とか歴史という視点で考えると一個人が生きていることって、
一体どんな意味があるんだろうと考えて、適当なところで人生離脱したいなって思う。
仕事したり友達とご飯食べたり、それにどんな意味があるんだろう。
みんなは何を支えに何を目的に、わざわざ生きてるんだろう。
きっと私より苦しい境遇に生きてる人もいると思うんだけど、私にはそれでも生きてる人間が不思議でならない。
産まれなければ、あるいは死んだら「嬉しい」も「辛い」もない。
この世に生きてる以上、多かれ少なかれ苦しみからは絶対に逃れられない。
安寧は死をもってしか到達し得ないと気づいてから、死にたくてならない。
私が死んだあとに世に出る本を読めないことだけが残念だなあ。
それが、希死念慮 ってやつでは?
調べたら鬱みたいなものであると書かれていてちょっと吃驚しました。 自分では、そういうネガティブな「死にたい」ではない認識なんですよね。 呼吸してご飯食べて目を開けて歩いて...
鬱になるとそういう判断もおかしくなるから…
理性というのは、自分にとってももっとも都合のよい納得感のある理屈を考え出す道具でしかないので、 理性で出した結論を絶対的に正しいと信じるのは間違いの元。 普通は、仕事し...
自分は迷惑かけまくって死にたいと思ってるよ
人生はこの世からあの世へ向かう途中の一休み だから、「一休さん」というのです 水木しげるも、 「この世は通過するだけのものだから、あまり気張る必要はないよ」 と仰っています...