2018-03-29

慎重に判断されたい。

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20180328/k10011382981000.html

私が子供の頃は、イジメ被害に遭うということは、ほぼ圧倒的弱者という立場に転落する事を意味していたのであり、被害者は救済されるどころか更なる加害が加えられ社会的死ぬまでのことはおおいにあり得た。

一方、イジメ加害者が罪に問われる事はまずなくむしろ異端者を駆逐したヒーローの扱いすらされていたものだ。

イジメ被害者が一方的に口を塞がれる事によって、無いものとされがちだった。

しか現在は、イジメによる自殺やそれに関する訴訟などの事例が世間に広く周知されて、イジメは悪であるという社会通念が形成されつつある。

その為、被害者が救済される可能性は以前よりは上がったという良い影響もある半面、今度は以前にはなかった問題が出て来てしまった。それはイジメ加害者になる事によって当人とその関係者が過剰な制裁を受けてしま可能性が出て来てしまった事だ。

となれば、イジメ加害の認定にはより慎重にならざるを得ない。それが関係者に重すぎる負担を強いる事になれば、今度は被害者に圧をかけてイジメを無かった事にするという、時代逆行の潮流を生んでしまう事になりかねない。

これを防ぐには、イジメ報道への感情的な反応を個人個人が自制して抑える(無理め)とともに報道のしかたを人心をみだりに煽らないように工夫することが必要だと思う。

ブコメを見る限りではディストピア一直線の模様。

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