うちの職場に嫌われているオジさんとオバさんがいる。確かに二人ともそれなりに嫌われる理由を持っている。が、そんな人たちの悪口を言ったり飲み会に呼ばなくて済むよう画策している連中は、正義の味方なのかっていうと全然そうじゃないと思う。
単純に嫌いなヤツと一緒に仕事したくないし、一緒に飲みたくないのだ。まぁその感情は自然なものだし、大人の心得としてもわざわざ嫌いな人と一緒に飲んで気まずくなったり言いたくもないお世辞を言ったりするより、気の合うメンバーだけで楽しく飲んだ方がいいだろう。
だけど私はそうやって自分たちが感情で動いていることを認めずに、「私たちは正義感があるから彼らを排除しているのだ」と正当化する人たちが嫌いだ。本来なら嫌われる原因になっている部分を改善するように努力する方が先だろう。ただ、ある程度以上の年齢になると、考え方や行動パターンが固まってしまっていて、矯正のしようがないので、次善の策として彼らと接する機会を最低限に減らすよう努力する方向に行ってしまっているだけだ。少なくともある程度頭が柔らかくて矯正の余地のある若手であれば、「こういう行動は相手に悪い印象を与えるからこういう風に変えた方がいいよ」と指導するべきだろう。
それなのに、彼らを嫌う人たちは、自分が感情で動いていることを認めずに、正義の味方面して「○○(嫌われている人の名)がこういいうことやってさ…」と彼らの悪口を言うことでストレス発散の手段にしている。まぁ相手の方が肩書きが上なので、正面切って言えることは少ないだろうけど、ただ単にあなた方は彼らを嫌っているだけで、それが多数派だから大きい顔をしていられるだけだ。別に正義の味方でもなんでもない。