2018-03-17

血筋と言うのはどこまで重視されるべきか

別に自分人類学者でも何でもないが

血筋と言うのはどこまで重視されるべきかというのは気になる。


江戸時代かそれ以前か、農民の子農民に、侍の子は侍に、画家の子画家

といった具合に定められていたと聞く。

これは親という子が選択できない事柄により、人生が決定されるという理不尽な事だという論調なのか

この「子は親の職業を継ぐべき」と言うのは(一応)排除された


しか現代においても、子の収入は親の収入と相関があるというデータが出ているし

親が子の教育を行っている事を考えると

完全に子が親から独立しているわけではないと言える。


しかし、親子には遺伝的繋がりがあり、各人の能力には一定関係があると考えられるだろう。

先ほど言った「親子の収入の相関」と言うのも遺伝的つながりによる結果の可能性もある。

そういった事柄により、子にとっての親、親にとっての子、と言うのは(繋がりがある以上)重視されるべきなのかもしれない。


しかし、子と親というのは紛れもなく別人格であるわけで

子の人生(意思決定)、親の人生、がその他方によってどこまでコントロール(影響)して良いのかと言うのは

ちょっと気になる問題であるし、

精子バンクのような話を絡めると「育ての親、生物学上の親」の子への(意思決定等の)関与はどうなるか

というのも議論として面白い話題であると思う。

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