もともと特に抵抗は感じていなかった。映画や小説で、そういうシーンはよく倒錯的だけれども魅力的に描かれていたし、憧れていた部分があった。
ようやく縛られていたものから抜け出せることができたのに、それを切り離したために生まれた正体不明な胸の中のジクジクとか、その結果本当の自分が元の場所に帰ってきた充実感とか、嬉しいのに悲しいとかそういう相反する感情の共存する様に耐えきれなかった部分もあった。
どうにでもなれと思った。
でも、この状況から助かりたいと思った。
でも、誰にもどうにもできないことだとわかっていた。
誘われてホテルに行った。
エレベーターの中で手を出されることもなかった。わたしは上がって行くエレベーターの階を気にしなくてよかった。
わたしが手を引かなくても、部屋まで連れていってくれた。
酔っ払って眠くなっていても不機嫌にならなかった。わたしは半ば夢の中で相手をして、わたしが浅い眠りから何度か覚めるのを辛抱強く待ってくれていた。
でも、それは緩やかで穏やかだった。激しく熱くて性急なものじゃなかった。痛い思いは一度もしなかった、でも全身が暑くて震えることはなかった。
明るくなかった。真っ暗だった。何も見えなかった。目も、唇も、顔も、体も。自分のコンプレックス塗れの体を見ずに済んだ。でも、馬鹿みたいに必死で無様な様子は見えなかった。
わたしはちゃんと濡れた。暗かったし、辛抱強かったし、痛くなかった。すぐに乾いてボロボロするローションなんて使わなくてよかった。でも、中心には届かなかった。あたり前のように、わたしがゴムをつけなくてよかった。爪が引っかかって、うまくできなくて、責められることはなかった。自分でやってうまくできなくて謝られた。悲しくなった。
手を繋いで寝てくれた。わたしの側から離れて、好き勝手にカップ麺用のお湯を沸かしながらファミチキを食べ始めることはしなかった。わたしは寝相が悪いのに、寒くて目がさめることがなかった。
わたしは最初、私を満足させられなかった相手の至らなさを馬鹿にして自分を保った。
そんなことはわたしの本質にはなんの関係も無いと分かると、大切にしようと誓ったはずの自分自身を安く見積もって、世間に反することをして、不良ぶっている自分の姿が見えた。
それが誰にも蔑ろにされてはいけない大切な行為だと信じていた子供の頃の自分を裏切っている姿が見えた。
私は
私は
私は、いつもみたいに清算して、忘れるフリをするしかない。
せめてこの場で懺悔をさせてください。
ごめんなさい。