2018-02-01

配られたカード勝負するしかないは「自己責任」を意味しないはずだ

よく勘違いされているのを見かける。

本来意味は「配られたカードで戦うしかない。結果が出ないのは元々運が悪かったと諦めるしかない状況が沢山有る。だから俺達は自分他人人生能力に対して割り切りを持っていかないとならない。そうしないと世界はどんどん地獄になってしまう」みたいな意味だったはず。

それがいつの間にか「配られたカードで工夫するんや。足りぬ足りぬは工夫が足りぬカードのせいにするな。一見弱そうな手札でも上手く使えばなんか出来るもんやで。なんやお前ホンマ言い訳ばっかして。やるしかないんや。お前らほんま工夫しようって気持ちがないなあ。配られたカードを上手に使えばイケるねん。ポーカーだってブタなのにブラフかければストレートフラッシュ倒せたりするやろ?やってみ?あんさんのやる気がないだけだと思うでげすよ」って意味になってしまっているのを結構な頻度で観測する。

なんだろうなあ。

言葉には賞味期限があるって事なのかな。

馬鹿に見つかると言葉汚染されて、馬鹿思考回路に合わせた低レベルな内容に塗り替えられてしまうのかなあ。

秘伝のタレのようなものなのかも知れんね。

同じ壺に同じ色のタレを入れて継ぎ足しで使っているといつの間にかソックリ別のものになっているあの秘伝のタレのような現象が起きているのかな

  • 「自己責任」って言葉も時々微妙だなって思う。 言い訳と原因究明とかさ。 必要なものを、余計なこと言うなにしてしまう空気ってなんなんだろう。

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