便利なコトバだよな『民度』。
本来のこの言葉の定義はざっくり言うと生まれ育った土地のこと、差別用語に近い。
ただ、昨今我々の使うこの言葉は少し違う意味を持っているように感じる。
それはなんだろうかと考えたところ『生まれ育ったなかでの選択肢の差』じゃないかと思い至った。
選択肢が多い人生を過ごしていると、それらを取捨選択して考える癖がつく。そして、初めて経験する決断に陥ったときにもそれまでの全く別の選択から考えより良いモノを取捨できるようになる。
選択肢が少ない人生を過ごすと、取捨選択する癖がない。最初に見たものを信じる。あらゆる物事に出会った時に思考する習慣がない。そしてどうしても都会よりも田舎のほうが、金持ち家庭よりも貧乏家庭のほうが、環境の所為でそうなりがち。
選択肢の少ない、民度の低い人生のほうが、人生における考えるコストは低いので、初見では生きやすく思える。ただ、よりよいものを取捨選択できないので、結果的にコストは高くなる。悪いものを掴まされることが多いからだ。
選択肢が多く、民度の高い人生では、自然と、死ぬまで常にあらゆる事について考え続けることになる。時に疲れたり、考え抜いた結果が失敗することもある。だが、常に良いモノを考え続けているので結果的なコストであったり、成功したときのリターンも大きい。