宗教を理由にした家庭での過激な締め付けについてのリツイートを見た。
たくさんの人がリツイートしていて、こうして増長される偏見が恐ろしいと思った。
なんのフォローもなくこのつぶやきを拡散させるのは、例を挙げてしまえば「エホバは、創価は、イスラムは、だからよくない」と、偏見を煽ることにしかならない。
もちろんそういった苦しい思いをした人たちは被害者だ。
その人たちがそういう「人」あるいは「人々」に苦しめられたことは事実だ。
本当に、つらかったと思うし、それを強いた人たちの行動は非難されて当然だ。
よくないのは、危険なのは、宗教や信仰を理由に他者に害をなす人だ。
知り合いに、人より信仰心が篤いけれど、とても思いやりにあふれていて、周りを元気にしてくれる人がいる。
信仰をよりどころにしているから、そういう風にふるまえると言っていた。
ちゃんと好かれていた。
先ほどのリツイートをした人の周りにも、口に出せないだけで、何かしらの信仰を持っている人もいるだろう。
その人たちは、日本には特定の宗教を信仰している人が少ないから、気軽に自分の信仰を口にできない。
だから見つけづらい。
そんな状況だから、リツイートをした人たちにとっては、宗教なんて遠いところの話のように思われるだろう。
そして、簡単に、「こんなことをする人(人たち)がいる、この宗教は危ない」という記事がリツイートされるんだと思う。
リツイートした人たちは、無意識で自分たちで分断を生み出してしまっている。