2017-02-04

「だからこの手の宗教は危ない」系

宗教理由にした家庭での過激な締め付けについてのリツイートを見た。

たくさんの人がリツイートしていて、こうして増長される偏見が恐ろしいと思った。

なんのフォローもなくこのつぶやき拡散させるのは、例を挙げてしまえば「エホバは、創価は、イスラムは、だからよくない」と、偏見を煽ることにしかならない。

もちろんそういった苦しい思いをした人たちは被害者だ。

その人たちがそういう「人」あるいは「人々」に苦しめられたことは事実だ。

本当に、つらかったと思うし、それを強いた人たちの行動は非難されて当然だ。

けれど、宗教信仰のものは、なにも害をなしていない。

よくないのは、危険なのは宗教信仰理由他者に害をなす人だ。

知り合いに、人より信仰心が篤いけれど、とても思いやりにあふれていて、周りを元気にしてくれる人がいる。

信仰をよりどころにしているから、そういう風にふるまえると言っていた。

ちゃんと好かれていた。

先ほどのリツイートをした人の周りにも、口に出せないだけで、何かしらの信仰を持っている人もいるだろう。

その人たちは、害をなさないか顕在化しない。

その人たちは、日本には特定宗教信仰している人が少ないから、気軽に自分信仰を口にできない。

から見つけづらい。

そんな状況だからリツイートをした人たちにとっては、宗教なんて遠いところの話のように思われるだろう。

そして、簡単に、「こんなことをする人(人たち)がいる、この宗教は危ない」という記事リツイートされるんだと思う。

リツイートした人たちは、無意識自分たちで分断を生み出してしまっている。

日本では、そもそも宗教が隔たりすぎていて、もとからひどい分断はあるけれど、これでは分断そのもの自覚できない。

今のアメリカ大統領不安がっている場合じゃない。

自分たちだってそうなんだと、気づかないといけない。

TLを眺めていて、こんな風に急に不安になったけれど、これを自分Twitterに書けないことを不甲斐ないと思う。

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