あのね、ちょっとだけ言わせてもらってもいいですか。
実際には、現実には、絶対にありえないことを、思いっきり細部までこだわった現実的な日常の世界として描くなんて、反則以外の何物でもない。
ファンタジーの世界、怪獣映画の世界なら、そこにはフィクションとしての前提があり、それに則った作品としているから、見る側にも、救いがある。
それは、受け手が、初めから「嘘の世界」を前提として見ているからだ。
例えば、ゴジラ対メガロやファイナルウォーズなど。初めからネタの世界でしょう。
ゴジラの世界でいえば、「ジェットジャガー」の登場により、読者は救いを得られる。
ドラマや映画なら、監督がいて役者が演技している裏舞台の世界が前提としてある。
この作品には、それらが一切無い。
見ている者は、最初の導入から始まり、この映画は日常の世界として知らず知らずにこの世界に入ってしまう。そこから、恐るべき侵食が始まっている。最後まで完璧な日常の世界として描かれているこの映画は、最後まで見たものを恐ろしくも洗脳させる。
そして、見た者は大いなる錯覚をする。
そこに描かれているものは何だろう。
「いいなあこんな官僚たち」
「すると俺達の国ってなんだったんだろう」
そして、見たものの中に、本来では「ありえなかった現実の世界」が正当化され、従来の「あたりまえだった現実の世界」が否定される。
本来持っていなかったものをまるで持っていたように錯覚させ、それを否定される。