よくジェットコースターで有名な富士山麓の遊園地に行かないかと誘われることがある。
私はジェットコースターが嫌いなのでいつもあいまいな返事しかしないわけであるが
そんなとき私はあることを考える。それが
と
それは高所、そして高速で乗り物が動いたときに死ぬかもしれないという本能から脳みそで出る快楽物質のために他ならないのではないか
本来は生存本能から来る脳内物質をジェットコースターと言う文明の力によって作られた機械によって産出させる。
まこと贅沢なことであろう。
常に命の危険があるところでわざわざジェットコースターに乗ろうと思う人はいないだろう。
それは生死をかけた環境があるからアドレナリンなんかが十二分にでているから。
そう考えると本来人間もやはり生き物であるから生死をかけた環境に身をおくのが本能なのかもしれない。
だから平和の国の民はジェットコースターを求めるのかもしれない。
理性上、諍いのないことを求めつつもジェットコースターにのり、本能を満足させる。
でも私はどんな御託を並べられてもジェットコースターに乗りたいとは思わない。
これは絶対に個人差がある。
「ジェットコースターは好きな人が乗ればいい。巻き込まないでほしい。」
と
ジェットコースターの面白さってそこ?違和感がある。まずそこの前提が間違ってるとあなたの考察は意味がない。 少なくとも俺は死ぬかも知れないと考えて乗ったことはない。そうい...
言わなくても察してくれ!!