喜びや楽しみのない人生はつらい。
死ねば楽になれることくらいわかる。
なぜ生きてきたか。
私が死ぬことは、私ではない負け組の誰かが生きることを、否定することになるから。
「負け組はいなくなればいい、勝ち組だけですばらしい世界を作ればいい」と認めてしまうことに通じるから。
いないほうが助かるけど存在してしまう、そんなやつの存在意義とはなんなのか。
あるとき思い立ってから、とても生きるのが楽になれた考え方がある。
この世界がいかにして出来上がったのか、真実を知る人間はひとりもいない。
そうであるから、人間の正しいあり方なんて誰にも決められない。
どのように誕生し、なんの目的で生きているのか、それを解明するための研究は今も進められていることだろう。
ある人間の故意によって生命を選別し、多様性を失ってしまうことで、求める真実から遠ざかってしまう可能性はないか。
例えて言うと、人間は、大きな岩が砕けて散った、一つ一つのかけらに過ぎないのではないか。
あのかけらとこのかけらでは、形も色も大きさも違うけれど、もとをたどれば一つの岩だった。
きれいな形で心地よい場所に落ちるもの、とげとげしく危険なもの、過酷な環境に落ち形を変えるもの。
自分と他人とを別の個人として考えず、くだけたかけらのそれぞれだと思ってみる。
私という個人は、ひとつのかけらに宿ったひとつの意識に過ぎない。
このかけらを失えば、もとの岩の姿を見失う。