2016-07-15

どうして分数のわり算は気持ち悪いのか

折にふれてはおもひでぽろぽろ引用して出てくる分数の割り算の話題で思ったこと。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47340

りんご6個を(1/2)人で割ると12個に増える気味の悪い事態が発端であり、

通例的な説得手段は概ね、

りんごや人という離散量を扱うのを諦める

時間や速度など演算結果が別の単位となる例題を使用する

方程式アイデアを利用して帰納的に結果の正しさを言う

の三択になる。だからといって増えるりんご気持ち悪さは拭えない。

そもそもなぜ掛け算が減っても気にしないのに、

割り算結果が増えると気味が悪いのかといえば、

掛け算が分け前の「要求であるのに対して、割り算が「譲歩」であるからであり、

要求しない」ときと「譲歩しない」とき字面数字差異が出るからではなかろうかと思う。

掛け算は一人前の要求が×1であり、半量なども問題なく要求もできる(×1/2)。

要求しない」とは×0のことであり、ない=0が対応して問題ないと思う。

割り算が譲歩であるのは、りんごの総量が決まっていて

一人が全部とってしまうとけんかになるから

みんなで譲歩して一人前を決めましょうということで妥当かと思う。

割る人数が増えれば譲歩の量が大きくなる。

ところが困ったのは、「譲歩しない」が÷1となることである

ない=1自体理解はさほど困難ではないが(競合相手がいない=自分一人)、

1より小さな数で割るときに「ないより小さいもの」を扱わねばならない。

この「無の先」こそが負数や虚数に似た気味の悪さを醸しており、

誤魔化されている感覚を発生させるのではないかと思う。

机上の空論かもしれないが、分数の割り算は結果が増えない演算からはじめると良いように思う。

(仮分数という小学教育でのみ厄介扱いされる存在を扱う必要があるが)

6個のりんごを、大人(=1人)と大人の半量を食べる子供(=1/2人)の3/2人で割る。

大人が4個、子供が2個という結果は不自然でないし、

その為に6÷(3/2)を6×(2/3)という逆数をとる手順を追うことも受け入れられるかと思う。

手順を覚えたあとに6÷(1/2)=12の異常事態に結局のところ直面するであろうが

ひっくり返して逆数を取ることへの嫌悪感は幾分か減るかと思う。

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