折にふれてはおもひでぽろぽろを引用して出てくる分数の割り算の話題で思ったこと。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47340
りんご6個を(1/2)人で割ると12個に増える気味の悪い事態が発端であり、
通例的な説得手段は概ね、
・りんごや人という離散量を扱うのを諦める
の三択になる。だからといって増えるりんごの気持ち悪さは拭えない。
そもそもなぜ掛け算が減っても気にしないのに、
割り算結果が増えると気味が悪いのかといえば、
掛け算が分け前の「要求」であるのに対して、割り算が「譲歩」であるからであり、
「要求しない」ときと「譲歩しない」ときに字面と数字に差異が出るからではなかろうかと思う。
掛け算は一人前の要求が×1であり、半量なども問題なく要求もできる(×1/2)。
「要求しない」とは×0のことであり、ない=0が対応して問題ないと思う。
みんなで譲歩して一人前を決めましょうということで妥当かと思う。
割る人数が増えれば譲歩の量が大きくなる。
ところが困ったのは、「譲歩しない」が÷1となることである。
ない=1自体の理解はさほど困難ではないが(競合相手がいない=自分一人)、
1より小さな数で割るときに「ないより小さいもの」を扱わねばならない。
この「無の先」こそが負数や虚数に似た気味の悪さを醸しており、
机上の空論かもしれないが、分数の割り算は結果が増えない演算からはじめると良いように思う。
(仮分数という小学教育でのみ厄介扱いされる存在を扱う必要があるが)
6個のりんごを、大人(=1人)と大人の半量を食べる子供(=1/2人)の3/2人で割る。
その為に6÷(3/2)を6×(2/3)という逆数をとる手順を追うことも受け入れられるかと思う。
手順を覚えたあとに6÷(1/2)=12の異常事態に結局のところ直面するであろうが
ひっくり返して逆数を取ることへの嫌悪感は幾分か減るかと思う。