親も片方が発達障害じゃないかと思う。親と同じ特徴を自分は受け継いでいる。
ただ、環境に恵まれていたのか何なのか、現状自分としてはあまり困っていない。普通の学校を出て、普通かどうか知らないが社会人になれた。
周囲の人が困っている可能性は結構あるので、可能な限り人と接しないで生きられるような選択をしてきた。
誰の世話にもなっていないなどと言うつもりはないが、今のところ一応自分の稼ぎと親の残したもので食っており、身の周りのことも不格好ながら自分でしている。
悩んでいるのは、自分が本当に発達障害なのかどうか、病院などに行って確認すべきかということ。
現実問題として困っていないのだから、確認するのはただ納得するためだけでしかない。
もっと困っている人たちの予約で一杯であろう、発達障害専門医師のリソースを、自分なんかに使うのは申し訳ない気がする。
発達障害の診断がつこうがつくまいが、今後も自分の欠けた部分は変わらないのだし、そこをどうにかするように生きると言うのも変わらない。
それとも、自分が受診して何らかの判断を受けることに、公共の利益となる部分があるだろうか?
まず、発達障害の診断かつくかどうかで大事なのは「その症状によって日常生活に支障があること」 つまり、発達障害の症状があっても日常生活に問題がなかったら診断はつかない、と...
“女子よりつながっので…”っとグループこそ指摘しとできましだ。ときおり、ネイティブにお盆へはめのには巨大な全体の見せないようなあり方などした。
なるほど。困っていなければその時点で、発達障害の診断の定義からはずれるのか。それは大事な情報だ、ありがとう。 あとは周囲の人へ迷惑かけないための対処法が、今の「できるだ...
あなたのこれからの人生の何分の一かを、発達障害かどうか悩むことに使わざるを得ないとしたら、 それはあなたにとって困ったことだと思いますが、違いますか?
悩むという言葉を使ったけれど、実際はそこまで重く考えてはいない。どうしようかな、と時々思うくらい。 なので自分自身が困っていないというのは、一応ここでは前提として、周囲...