2014-10-17

心の動きは、実際の移動距離における身体の動きに敏感に反応すると聞いた。

旅行先での強い感動などが顕著な例らしい。

ここ2ヶ月ほど、私の気持ちと身体も新幹線に乗って

あちらとこちらに引き寄せられては、離され、過ごしていた。

それぞれに違った安心不安があり、安心は同時にふたつ手に入ることはなかった。

しろ、気がつけば、私はすっかり不安に足を取られはじめていた。

私がもっとずるかったら、大人だったら、うまく自分ごまかすことができたなら

そのふたつの安心不安バランスをとりながら、違う安心を手にしていただろうか。

どうしてふたりの人を好きになってはいけないのだろう。

どうしてだんだんつらくなってきてしまうのだろう。

どうしてなにもかもうまくできないんだろう。

どうして、どうして、どうしてと何もわからない子供のように

彼に訊ねながらも、私は彼を傷つけていることを充分に知っていた。

からの疑問だったけれど、本当にそのままの意味なのだけれど。

私は完璧に振って欲しかったのだ。そして、それはおおよそ実現した。

彼はあれからずっと音楽を聴いている。いまも。

完璧じゃなかったから、それがわかるサイトでだけ私と繋がったままだ。

悲しいとき、さみしいとき、嬉しいとき楽しいとき、何も考えたくないとき音楽聴く

多かれ少なかれ、音楽好きな人はそうして生きている。彼も、私も、その他の人もきっと。

音に、歌詞に、気持ちと思い出をのせているうちに時間が流れていくのを知ってるから

好きな曲10曲のリストを作って送ると言っていた約束は果たされなかった。

あなたが聴いているたくさんの音楽のうちのどの曲なんだろうね。

ポップ・ミュージックが不幸の源であるのかどうかは、わからない。

 しかし、彼らが不幸な人生を生きてきた時間よりずっと長いあいだ、

 悲しい歌を聞いてきたということだけは、ぼくにもわかっている。

 ぼくの知っているなかで最も不幸な人々とは、 ポップ・ミュージックが何より好きな人々だ。』

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