2014-10-16

恋愛しないことを社会の失敗だと考える風潮こそ間違っている

から、答えが無い。どんづまりになる。

社会を維持するために、恋愛して結婚して子供産んで人を増やす必要がある。

うたい文句は間違ってないが短絡化している。

そこで維持したいのは社会ではない、”それまでと同じ社会”だ。

脆弱社会では、「子供を産み次の世代を維持する。」という、社会機能の一部になること。

それがそのまま個人の幸福に紐づいていた。

そこには、金や未来なんて関係ない。一部になれるかなれないか。しかない。

社会が強くなり、社会の維持という機能から個人が解放された。

その時、はじめて恋愛価値が語られる。

解放された個人は、孤独だ。

社会存在していることを実感できない。

から人は恋愛をする。自分社会にいると確かめる鏡が欲しくて。

孤独が怖い。

さら社会は強くなった。

物理から解放され、電子世界に身を置いた。

物理的な距離しかさなかった恋愛という鏡が無くても、電子世界にたくさんの鏡がある。

孤独が怖くない。

金がないから恋愛しないのではない。

3000万円のマンションを買わなくても、月5000円払えば、孤独にならない。

お金なんていらないのだ。

からあまったの下さい。

社会には色々な役割がある。

でも、シンプルにいえば不幸な人間絶対数を減らすことだ。

その目的が達成できれば、社会というシステムがそれまでと同じである必要はない。

というか、○○主義という言葉で、”それまでの社会”が簡単に否定されて育った世代が私達だ。

社会の在り方が間違ったのではない。

不幸な人間絶対数を減らすため、社会が進んだ結果だ。

”それまでの社会”を維持するのは難しい。という新しい問題が発生しただけだ。

この新しい問題は、どんづまりじゃない。

模索する価値のある問題だ。

このぐらい識者なら分かるんじゃねーの

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