世間には「仕事というのは苦痛なものなのである。苦痛を耐えることにより給与を得ているのである」という考え(信仰?)があるようだ。
もちろん世間の全員がこのような考えを持っているわけではないし、自分もこういう考えなわけではないし、苦痛な仕事には就いてない。
この思想については賛否両論あるだろうし意見もあるのだが、今回は本題ではないのでおいておく。
とにかく「仕事というのは苦痛であるのが当然である」「しかし収入や社会圧力のためにしなければならないのだ」という思想があり、それはあまり少数派ではないようだ、というのが今回の話の枕だ。
本題なのだが、しかしなぜか「家庭(=結婚)というのは苦痛であるのが当然である。しかし収入や社会圧力のためにしなければならないのだ」というような考えは少数派のようだ、という点だ。もちろん少数鼻だけでゼロではない。
さらにいうと「仕事の苦痛を家庭で癒す」というような考えがある。
改めて考えるとこれはとても不思議なはなしだ。
なぜこのような思想がインストールされたかについては歴史的経緯があると思われる(男女の権利格差とか就労環境が文化を作り出した)。
しかしながらこのような思想が改善されない理由は思いつかない。だから改善はされていくのだろう。時間さえあれば。
個人的には、仕事は苦痛なものではない。仕事が苦痛である瞬間はあるけれどそれは瞬間だ。どちらかというと人生の出目は幸運だけでは続かない、程度の話だ。「人生の出目は幸運だけでは続かない」と言えるタフネスがない人が仕事も結婚もdisしているのだが、非婚のほうは無職に比べて社会的な地位を先に確立したってだけなのではなかろうか?