http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar491549
こういうバカがいるから日本から差別がなくならないんだなぁ、とシミジミ思った。「差別」も「区別」も、やってる当事者の頭のなかで起きていることは同じ。問題は「それを外に見えるカタチで表現した時に、相手がどう感じるか」だ。
1.相手をヲタクだと考えて、区別してもいい。誰が何を考えているかなんて、言わなきゃ他人には絶対にわからない。
2.相手をヲタクだと考えた上で、相手に「君はヲタクだね」と言っても、問題ない可能性が高い。相手に対して表現しているんだから、それを表現した時点で言った人に責任が生じる。
相手が実際にヲタクだったら、そうだよ!と言うかもしれないし、相手がヲタクじゃなかったら、ちがうよ!と言うかもしれない。
どちらもただのリアクションで、良いも悪いもない。(でも、相手がヲタクだと言われるのを嫌だと感じていたら、それはもう差別だ)
3.ヲタクを暗に嫌だと考えていて、例えば学校で机に「ヲタクは帰れ」とか落書きしたら、それはもう100%差別。区別を起点にして、相手に嫌な気分を抱かせている=差別している。
既存の様々な区別(男女、人種、等)が、2までなら区別で済む可能性が高いけど、3をやったら絶対的にそいつが悪い。
相手の感情に依存する以上、差別を事前に100%回避するのはムリ。
でも、一対一の関係に於いて、自分のした区別が原因で悪意が無いのに相手が嫌悪感を持ってしまった(結果として差別になった)場合は、謝ればいい。
一対多(公的な関係、先日の人工知能学会誌の件のような)の関係では事前の注意を厳重にする必要があるけど、やはり謝ることができる。
つまり、
・「区別」と「差別」は、やっている人の頭の中では実質同じ。問題は相手がどう感じるか。
・自分の頭の中に留める限り、それは問題にはならない。
・だから常識に従って十分に配慮する必要があるし、意図せず相手を傷つけた場合は謝罪する。
この記事は、自分の頭のなかで起きている「区別」と、相手の頭の中で起きる「差別」をまったく分離できていない上で、「差別を全否定はできない」等と言って、自己肯定までしている。ましてや愛なんてなんの関係もない!そういう輩が公的な場で意見を発信できるようになっているのが、まったく大きな問題だと思った。