取り立ててハッキリとした悪事を働いている訳でもない人に対して、いつも攻撃したがり敵視していないと気がすまない人がいる。
「会社の上司が!!」「婚活してる女が!!」「うちの子供が!!」
これは自分の中の非を何とか覆そうとしているか、もしくは自分に自信が無い状態、つまり不安を抱えているのだと思う。
不安から逃れたいが、手っ取り早く正義の側でいたいから敵を作り上げる。
「彼らのせいで自分は苦労させられている。被害を被っている。」と頭のなかで仕立て上げる。そういう場合がほとんどだと思う。
俺も誰かをやたら敵視して攻撃的になっている自分に気づいたら、
「ああ、今の俺は敵を欲しがってる状態だな。ということは俺は不安を抱えてる」
と考え、その不安の原因を探ってみる。
冷静になって突き詰めてみると、結局原因は自分の意志の弱さだったり、判断が間違っていたり、努力の方向性がズレている事が多い。
それが分かって初めて冷静に論理的に対応策を考えることが出来る。
この、攻撃的な自分に気付く→不安から攻撃的になっていることに気付く→不安の原因を探る
というプロセスは攻撃的な他人を説得する場合にも有効だ。プロセスを経ないでいきなり本人の中の原因を追求しても怒りで聞き入れないことがほとんどだ。
そして、そこからまた一段階上から考えてみると、そもそもなぜ不安の原因を解消するのではなく敵作りをしてしまうのか、という疑問が出てくる。
おそらく、過去どうしても不安から逃れられない状況があり、そこに耐え切った自分を正当化しているのではないかと思う。
「俺はあのクソ上司のストレスに耐えた」「俺はモテなくて女から蔑まれた学生時代を耐えた」「私は主婦業と子育てのストレスに耐えた」
その耐えた自分に対するヒロイズムが今も自分を支えている。そしてその価値観を否定すると耐えた経験が無駄になってしまう。
だから今も不安に耐えることを良しとし、その不安のはけ口として敵を作り上げ攻撃する。
そしてその被害者がまた誰かを攻撃する。共依存、毒親、パワハラなどの原因はそこにあると思う。
俺は「逃げる」「頼る」「任せる」という選択肢の無い社会は危険だと思う。「耐える」という選択肢はなるべく無い方がいい。自分の為では無く、周囲の人をやたらと敵視しない為だ。