千人存在すれば、千通りの考え方があり、誰とて同じ存在は居ないと言えよう。
だが、心というものは先ず同じではない。
同様の遺伝子を持つ存在に人生を同様の経路で辿らせれば同一人物になるかもしれない。
一方、人格形成は生まれ持った要因によってのみ決まる。
どちらも突き詰めれば、脳内の分泌物と電気信号によるものでしかない。
だが、我々人間の社会に於いては、それ自体に一つの価値を見出してきた。
その為、数値化したり、分かりやすいデータにコンパイルし直す必要がある。
5因子モデルがその一例であろう。
NEO-PI-RやFFPQといったモデルがあるが、ここではFFPQについて語ろう。
性格を5つの次元に分類し、それによってその人間を判定する基準である。
これにより、複雑な事象を我々に近くしやすい次元にまで下げる事が出来る。
客観的に人間を見る一つの指標とはなるが、あくまでも客観的にである。
5つの次元以外の要因が絡み合えば、他の次元に何らかの影響があるのかもしれない。
自己を偽ることでそれらを全て好意的な結果に置き換えることも可能である。
だが、別の見方をしてみれば、生まれつきの人格を遺伝子レベルで変えてしまえば、
全てを良い結果として出せるのではないか。
もしそれがまかり通る世の中になれば、世界は大きな転換点を迎えるだろう。
この世に生を受けた瞬間に格差が生じるのだ。
時としてナチズムにも似たイデオロギーを生み出す可能性がある。
我々は、神の領域にまで踏み込んではならない。
なんで「我々は、神の領域にまで踏み込んではならない」んですか? 「時としてナチズムにも似たイデオロギーを生み出す可能性がある」からですか? 遺伝子操作によって優劣が認識...
我々は踏み込んではいけない領域に往々にして「神の領域」という名前をつけているだけなんじゃないだろうか もっと正確に言うと「匿名の日記で踏み込むにはあんまりにめんどくさい...