全国民に一律に現金ばら撒くのが買収なら所得税や消費税の減税も児童手当・年金増額、農家所得保障も買収なんだろうかね?
もしそうなら全国民を対象とすれば買収になるが、納税者だけ、子供だけ、老人だけ、農家だけのように対象を限定すれば買収じゃないと?
現物給付でも利用者の金銭負担は減るし、土建会社や病院介護施設に金が渡るんだが、これは買収じゃないって事なんだろうかね。長年自民党がゼネコンや医師会に票の見返りに利益誘導してたがこれは買収じゃないという感覚なのか。
いずれにしろ個人的には奇妙な基準だと思うし、正直言って給付金が買収とか言うのは頭が悪いとしか思えない。麻生不支持はマスゴミに流される低脳ばかりなんだな。
一見政府批判のように見えて旧来の自民党的なやり方を支持してるって事だがわかってて
言ってるんかいな。「わかってるから元自民党幹事長の金権政治の申し子が党首を務める野党を支持してるんだよ」といわれそうだが。
とここまで書いて気づいたが、ひょっとして給付金批判者はマゾヒストなのかもしれない。痛みを伴う改革とか言って人気者になった変人が首相批判してるし、再可決は欠席するらしいし。要するに全部か一部かに関係なくどんな手段であれ国民にメリットを与える政策は買収であり、やめるべきであると。
閑話休題。
その中で興味を引いたのは、テレビは芸術よりいいじゃん、っていう太田。
そもそもテレビは媒体名で、芸術はある表現形態の総称で、対立させるようなものでもないけど、それはおいておいて。
ゲスト(?)の布施英利は、たとえば「命を大切に」を伝えるのは、長期的には芸術が残っていくと言う。
太田は、今伝えたいことをすぐにたくさんの人に伝えられるのはテレビだと言う。
太田は、そんなことはないと言う。
今伝えたいことを今伝えられるということは、準備期間が短いということだ。
10日かけて練った表現と、1年かけて練った表現じゃ、やっぱり後者が強いんじゃないか。競うということではなくて、風雨にさらされたときの強度が。
http://chemistry4410.seesaa.net/article/113847404.html
いるねえ。。。。
飲み会でそういう役から話をふられたりするのがしんどいやね。
天然ボケなのでボケはOKなんだが、ツッコメとか言われてもそもそも話し聞いてなかったり。
まあ、そもそも宴会集会が嫌いなので行かなければ良いだけなんだが。
まあ待て。
あなたが感じていることであって相手がどう思っているかは不確定なんじゃないか。
すなわち、抹消された気がする、という捉え方はあなたのものであって彼らのものではない、ということ。
とはいえ、あなたにとってはあなたの感じていることが世界の全てなのだから、どうしようもないんだが。
研究と起業は二者択一でもないはず。研究開発系のベンチャーで成功するとかはあるだろう。
あと起業だと国家の役に立たず公務員なら役に立つというのも短絡的杉じゃないかと。会社だって普通は多くの人に役に立つと思ってもらえなければ事業を続けられないわけで。国民のニーズとのずれは公務員でもあるし、実際公務員でも公共事業でも批判の声はよくある。民間企業と違ってニーズとずれても税金をつぎ込めば事業を継続できるので是正しにくいという問題点がある。そもそも有能な人による自己犠牲を前提として制度を作るなんて机上の空論でしかないと思うが。
「アイドルは、少しクセのある顔のほうが売れる」
つまり、顔が隙なく“整っている”のはキレイではあるけれど、そこまで。
モデルさんの顔は整っているけれど、忘れられてしまう人も多い。
ちょっと外しているほうが、印象に残り易い。
人の想像力とか親近感とかを生みやすいらしいね。
「アイドルの歌唱力は聞る程度あればいい。私は“ヘタウマ”の魅力をおす」 とも。
確かに売れてるアイドルはただきれいってわけじゃなくて、
どこかしらインパクトのある顔をしていると思うのはそのせいなのかなって思う。
乳と卵
起業を「悪く」見てるつもりは無いけど、それが決して「片手間にやって成功する」ものでもない、とは思ってる。そして、良い研究というのは「24時間寝てる間もそれについて考えてる」ような人によって為されるものだと自分は思っているので、そういうことがしたい人には起業してる余裕なんてないだろう、というだけの話。それとも、そんな片手間でできるような甘いものなの?起業というのは。
そこまで仕事が面白くなったら、やめろといっても仕事の方をしちゃうでしょう。誘導しようがするまいが、それは止めるだけ無駄だと思うけど、国策としてはなるべく有能な人は「自己の利益」より「国家国民の利益」のために低賃金でその頭脳をフルに活用していただけると助かるなあ、というだけの話。
ブクマに感謝し、ここでまとめて回答します。http://anond.hatelabo.jp/20090218005603
id:yoshi1207 教育, 研究 「将来はアカポス」って取れなかったらその人はどうなるの?都落ち的経路だけどそのキャリアがアカポスの面接でどう評価されるだろう?OD側のメリットが食い扶持ってだけじゃ弱くない? 2009/02/19
いきなり鋭いツッコミ。確かにそうなんだけど、文系ODなんかは実際バイトで講師とかして相当の時間を取られてたりする。3年なり5年なりの契約があり、更新もありで研究費が出るならやるという人はそれなりにいると思う。一種のセーフティネットの役割として期待したり。
id:tsuzuking 学校, 社会 院卒だからって教えるのが上手いとは限らない/むしろ義務教育期間中に大卒(院卒)以外の人と接する機会を作る方がいいと思う。 2009/02/19
他のコメントにもあったのでまとめて言うけど、「教えるのが上手い」必要はない。教諭がアシスタントとして授業に入っても良い、というか入るべきという気がする。というのは、実はもう一つの狙いとして「教諭に対する教育効果」があるから。放っておけば学問をさぼりがちな教諭陣に、もう一度「学ぶ面白さ」を思い出させたい。ただし、教諭の側に「面倒を見てる」的意識が出てくると、教諭からのパワハラ・セクハラが少し心配。後半については、別問題として同意。
id:matcho226 education アカデミズムへのリスペクトのない子との関わり方。語彙力のない存在に配慮する難しさ。生徒同士のコンフリクトに当事者としてどの様に関わるか。博士の看板は信頼の担保となるか。文化の違いによる現教師との衝突も 2009/02/18
子どもとの関わりが決して容易くないのは同意。そのために教諭のフォローは絶対に必要。問題は、教諭との関係構築のあり方か。教委の指導主事あたりが両者の仲立ちを上手にしてやる必要があると思う。教師との衝突は、そういった教師の「教委コンプ」「学歴コンプ」を巧みに利用する必要がある。…というとなんかヤラシイんだけど。
id:LethalDose 高等教育はそれを受ける姿勢のひとでないとむずかしいとおもう。一流に触れる機会があればいい、とは思うけど、日常的な教育に携わるのはどうだろう。 2009/02/18
仰る通り「日常的な教育」は教諭に任せるのが良いと思う。あくまで特別な存在として。たとえば小学校だと、学校内に『自分の研究室を持ってるへんなにーちゃん(はかせ)』がいる、みたいな感じ。
id:complex_cat education 一生懸命やる人は出てくると思うが,中学年あたりに下手な人間当てると学級崩壊とか普通。後,経済失速で地方都市では教員は有望な既得権益枠だから,教委や大学教育系の手放さない圧力は強いから派遣枠で飼い殺し。 2009/02/18
担任とか持たせることは考えてない。というか、それだと「研究者」してる暇がなくなって意味無い。あくまで「学校に研究者(のタマゴ)」がいる、というところが重要。あと教員枠とは別枠のイメージ。たとえて言えばネイティブの語学講師的位置づけ、ということでどうか?
id:mobanama 研究, 教育 ふむ。面白い。ラインとスタッフのローテみたいな話に発展しうる余地もありそうな。 2009/02/18
ラインとスタッフのローテーション、というのはこの件に関しては正直考えていなかったけど(自分のイメージはどちらかと言えば出向・異業種交流に近く)、そういう経験をした人がその後教育委員会に入ったりするのは面白いかも。
まあ、そういう批判もあろうことかとは思う(笑)
id:ceekz * TA としてなら良いんじゃない?授業をやるのはイマイチかな。 / 授業法を学んでいない者(教職課程未履修者)が授業できる、博士という権威で授業できると思っているなら甘い。 2009/02/18
確かにそういう運用をイメージしてる。ただ、ケチをつけるわけじゃないけど、「授業法」というのは、自分が大学で受けた授業に関して言うとわずか2週間の実習で得たモノに比べ驚くほど貧しい内容だった。正直実地で得るものの方がずっと重要なのでは?
id:rh-kimata 研究者、専門家としての能力と教師としての能力は異なるので、教師は教師の基準で選ぶべき。現在の教員の免許制度や、今後実施される教員免許更新制が良くないならそれを修正するのが筋。 2009/02/18
「教諭に代わりうるもの」というイメージではない。「特別講師」は「特別講師」であって「教師」ではない。これまでの免許制度には全く問題が無いが、更新制は無意味を越えて有害。ただ、そういうヒステリックな反応が出るほど「教育への信頼」が危機にあるのだとすれば、もっとまともで有益で低コストで効果的でかつそれに関わる人間全員が幸せになれるような別な政策を提示する必要があると思った。
id:daigan 全くダメだと思う。明晰な頭脳が良い教育者になるとは限らん。むしろ、良い教育者はコミュニケーション能力が高く、ODは一般的にコミュニケーション能力が平均値以下が多いと感じる。 2009/02/18
「良い」教師はともかく、一般的な教師のコミュニケーション能力がどのくらいかというと……
id:ranobe 教育現場にハンニバル・レクター博士でモンスターペアレント問題その他を食育で解決。 2009/02/18
…博士違ぇwww
省略した人ごめんなさい。ありがとうございました。
去年の今頃、会社の同僚がうつ病でいなくなった。最後に会ったときはまじで誰だかわからないくらい顔が変わってた。
そいつはずっとブログやってて、最近見てなかったけど久々にのぞいてみたらなんかもう別世界の人になってた。自己憐憫というか自己陶酔というか。
最初の頃は他の同僚がコメント書いたりしてたけど、みんな完全に離れていってる。
それほど親しかったというわけではないが、こいつはこれからどうするんだろうと心配になった。自分もいつそうなるかわかんないし。
生きてて、疎遠になっていく人がいるのはごく自然なことだけど、何人かの人からは、抹消、された気がする。彼らにとって「なかったこと」にされてる。
ひとりぐらいだったら、まあ相性が悪かったんだな、と思うけど、ほんとに愛し合ったといって差し支えないぐらいの間柄の人たちが、ひとりならずわたしを抹消して幸せに生きている。わたしを抹消することが彼らの幸せの条件だったんだという考えが頭を離れない。自分がばい菌になったみたいな気分だ。これ以上ひとに迷惑かける前に死ななければ。
何でそこまで起業を悪く見るのかわからん。研究がやりたい人なら起業が成功したからといってやめるわけでもないと思うが。逆に起業のほうが面白いと思えるようになったのに研究をするよう誘導するのも余計なお世話と思うが。
就職の当てもないのに大学院生量産するために税金使ってまたそれを尻拭いするための仕事を税金で作ってやろうというのは一度公共事業やり始めたら仕事がなくならないようにするために誰も使わないハコモノ作るとかいうのと似たようなものを感じる。
開き直るよりはいじける方がまだいいんでない?