てめーの自己満足の懺悔に付き合ってられっか、という気持ちで狂おしいほど腹が立つ。
嫌なら見るな、の大前提があるのは当然だけど「お、更新されたな」と思って読みにいったブログが担降りブログだった時の地雷踏んじゃった感凄い。もはや騙されたとすら思う。
せめてタイトルで「この記事は担降りの要素を存分に含んでいます」と主張してほしい。まかり間違っても「ありがとう、私の王子様」みたいなポエミーなタイトルをつけるんじゃない。どうせ別れるくせに感謝してんじゃねーよ私だって担当の存在に常日頃感謝してるよ。
昔は全然平気だった。どうしてこの人はあんなに魅力的な彼から担降りしちゃったんだろう?って不思議な気持ちを解消してほしくて読みに行ってたこともあった。
でもさ~~~気付いた。この人たち、担降りした理由を書いてるんじゃない。担降りしたことへの言い訳ばかりを書いてる。
だって担降りの理由なんて正直大したこと無い。どれを読んでもとるにたらねぇ。それでも私にとっては一大事。みんなそうやって書くけれど、みんなそうやって書くってことはやっぱり大したことねぇ。
そもそもお前一人降りたところで担当への影響力は間違いなくゼロに近い。みんなそれは分かっている。分かっているのに担降りしました、ありがとう、さよならとわざわざ口にして綺麗に幕を引きたがる。そんな謝罪、担当は絶対に欲してないのに。
それでも懺悔しなきゃいけないとしたら誰にだ?
結局、担降り記事は元々の担当繋がりだったネット上の友人たちにだ。顔の見えない友人たち相手に「ほんとにほんとに好きだったけど、のっぴきならない事情で担降りしますごめんなさい」というポーズを見せて、「ああ、残念だけど仕方ないな」と思ってほしいがための見栄だ。立つ鳥跡を濁さずってこと。なるほどね。
じゃあ残されたこっちはどうなのかっていうと「知らんがな」。もー知らんがな。好きにしろや。ていうか何でそれをわざわざ言った。
言わなきゃいい。さっさと黙ってツイッターのアカウント消せばいい。最後の最後まで承認欲求を満たそうとすんな。冷たいかもしれないけど、同じ担当を好きだったからこそ繋がってたわけであって、担降りしたその瞬間からもうあんたのことなんかどうでもいいのだ。
挨拶しないのは不誠実?全然でしょ。どうせこの界隈からいなくなるのにどの体裁を取り繕うわけ。
担降り宣言をするってことは、担当を否定されるのと同義に感じる。まだ私は好きなのに。まるで「残してってごめんね」って聞こえる。卑屈かな。でもほんとに私は好きだから、何でだよって思うことは許してよ。
自己満足のブログなんだし好きに書けばいい。私は担降りをワードでミュートにでもしておけばいいのか。でもタイトルだけはほんとに頼むね。分かりやすく、完結にどうぞ。
好きだった人が担降りするんだってさ。お願いだからごめんなさいなんて言わないでよ。あの人元気でやってるかなぁ、ってぼんやり思うくらいの距離感で終わらせてくれよ。