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2024-05-06

一茶の句は反例にならない。

 

anond:20240506174540追記しようとしたら長すぎたので記事を改める。

meganeya3 短歌の考えは知らんが増田俳句の考えとして「やせ蛙 負けるな一茶 ここにあり」はどうなの?

私の短歌俳句論について、異論は認めるのだが、この一句は反例とは思えない。むしろ私の認識を強化することにしかなっていない。

この句は一見情念のこもった句に見えるが、この句における一茶はあくまでも風景の一要素としてやせ蛙と並列されている。つまりは蛙ごときに向かい合って必死になっている俳人描写である。一茶の句におかしみがあるのは、滑稽な自分を冷静に客観視できるからこそで、情念を込めてやろうという精神からはかけ離れている。

それに対して、例えば同じ蛙を描写した以下の斎藤茂吉の歌はどうだろう。

死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる

この歌は一茶の句と比べると写実的情念の無い描写に見える。しかし、用心深く読んでみると「かはづ」(蛙)の鳴き声が「天に聞ゆる」のは作者が添い寝をしていて地面に近いところにいて、天を眺めながら聞いているからそのように感じるのであり、実際に天から蛙の鳴き声が降ってきているわけではない。実はこの歌は非常に主観的情念によって風景を巧妙に歪めていることが分かる。茂吉にとっては「かはづ」も、それどころか「死に近き母」すらも己の寂しさや怖れの大きな比喩しかないのである。一茶のような引いた視点など待とうとする気もない。短歌情念産物と言うのは、こういうことを言う。

私の論に反論するのだったら、例えば短歌情念はいうが、奥村晃作のただごと歌、たとえば

次々に走り過ぎ行く自動車運転する人みな前を向く

などはどこに情念などあるのか?と言った指摘ぐらいは欲しいところだ。

ついでだから私が、これこそ短歌情念だと思う歌を掲げておく。

いらだちをなだめてばかりの二十代立ちくらみして空も揺れたり 江戸

あをき血を透かせる雨後の葉のごとく鮮(あたら)しく見る半袖のきみ 横山未来

電話口でおっ、って言って前みたいにおっ、って言って言って言ってよ 東直子

子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る 河野裕子

革命作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ 塚本邦雄

玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることのよわりもぞする 式子内親王

2022-01-31

anond:20220130195853

君かへす朝の敷石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ(北原白秋

年々にわが悲しみは深くしていよよ華やぐいのちなりけり岡本かの子

早春レモンに深くナイフ立つるをとめよ素晴らしき人生を得よ(葛原妙子)

馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ塚本邦雄

海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり(寺山修司

男の子なるやさしさは紛れなくかしてごらんぼくが殺してあげる(平井弘)

あの夏の數かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ(小野茂樹)


Twitterに名歌botがたくさんあるので適当フォローするといい

本だとちょっと古めなら『日本文学全集29 近現代詩歌』(河出書房新社)(上で引いたのはこの本から

新しめなら『桜前線開架宣言 Born after 1970 現代短歌日本代表』(左右社)か

短歌タイムカプセル』(書肆侃侃房)がおすすめ

2009-02-22

まあ貯金だと思って入るのもよし

真面目に突き詰めてマスターキートン風に言えば「期限内に自分が死ぬか死なないかに賭けるギャンブル」なわけで、あんまり「死」と関連させすぎるとナイーブになっちゃうぜ。まあ貯金だと思いなよ。で、どうせ貯金なら普通貯金するかどうするか、と冷静に比較した上で決めればいいさ。

http://anond.hatelabo.jp/20090222141451

はつなつのゆふべひたひを光らせて保険屋が遠き死を売りにくる塚本邦雄

 
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