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2013-08-16

東京生まれ東京育ちだが、東京ってひとくくりにするな。

〜 http://janesuisjapanese.blogspot.jp/2013/08/vol14.html を読んで感じたこと。

父方は曾祖父の代から、母方は祖父の代から東京に住んでる。

父は木挽町で生まれ泰明小学校銀座中、塾高から慶應大学に行った。

いまでは父方の祖父母は広尾引っ越ししまっている。

だが、父は木挽町が好きなようで本籍はいまでも木挽町だし、僕も生まれた時から初詣家族揃って鉄砲洲に行っている。

また、父と仲の良い小学校同級生はいまでも銀座で店を構えてる連中が多く、父は今でもスーツ銀座同級生に仕立ててもらっているようだし散髪も同じくである

一方、母は下落合で、小学校から大学まで白百合だ。

目白駅から祖父の家まで行く目白通りは、いまでも好きな道の1つである

から地元での話はあまり聞いたことがなく、言うのは学校の近所の話だったり、就職してから出来た友人の話の方がよく聞く。

僕はと言えば生まれたのは小石川で、その後、馬喰町恵比寿一番町南青山東麻布と都内を転々としている。

転々としているのは父の気まぐれだと思う。同じ町に住んだのは一番長くて7年程度だった。

それにずっと集合住宅だったから、地元という感覚の町が無い。

また小学校から大学まで私立なので同級生も皆、住んでいる所がバラバラだった。

家が近所の奴もいたが、多くは電車で数十分で、遠い奴は葉山とか佐倉三島などもいた。

勿論、三島の奴は新幹線通学だ。

から、”地元の友人”というものもない。

住んでる所が一緒、ではなく学校習い事、塾が一緒という点でのつながりしかない。

しかに、今でも出身校の近くを通る時、弁当屋の親父は元気かなとか、

授業抜け出して行った定食屋はどうなったとか考えるし、

最近外苑前表参道の駅が奇麗になったなあとか、

南青山みゆき通り外国のブティッグが増えたなあと、変化したことに感慨があるし、

軍艦パジャマは相変わらず下品だなと、逆に変わっていないことに安心感みたいなものはある。

でも、それぞれに取り立てて愛着がある訳でもなく、それに昔から転々としていたから、

つの間にかよく通っていた店や建物が、久々に行ったら無くなっているというのも当たり前のことだ。

また、ある種の観光地の近くに住んでたこともあり、田舎者に囲まれて育ったこともあり田舎者に対して特段の思いも無い。

そもそも田舎者とは要は東京者に対するヨソ者という感覚だけれど、僕には地元が無いのだから田舎者という概念を持ち得ない。

東京は本当に巨大で、とてつもないマチの集合体だと思う。

よく地方の人が「マチに遊びに行く」という意味での「マチ」が東京には無数にある。

それに「マチ」によって空気全然違う。

白金台の裏の方のお屋敷ばかりのあの空気後楽園の雑多な仲にも昭和的なにおいがある空気一番町空気がキリっとしているし、麻布は昔からの重みを感じる。

マチの空気はそうそう変わらない。(表参道同潤会を壊したのは駄目だと思うが)

東京とひとくくりにするから、毒を浴びるんだと思う。地方出身者にレイプされた気になるんだ。

もっと自分の住んでる町を愛して下さい。せっかく地元があるんだから

地方出身者がトウキョウをスクラップ&ビルドしたとしても、あなた地元の友人関係までは壊せないでしょ。

 
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