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2007-09-22

ありがとう

KOKIAの曲じゃないけど、そういう曲が聞こえてきてもいいくらいしんみりしている。

とはいってもそんな大それた話ではなくて、単に人とのつながりってありがたいなあと。

自分のスペックを晒すと、22歳大学生♂、一留+半年休学でこの後期から復学する。

ある意味現代っ子らしいというか、将来に対する見通しとかを何も立てないまま3回生あたりになり、

自分自身への葛藤人間関係などもろもろのことがきっかけで、ひきこもり+鬱っぽい状態になってしまった。

結果、大学生活やその他数少ない人間関係からの撤退を推し進めてしまった。

最近までそういう状態が続いていたのだが、通院やカウンセリングの成果がでてきて、

なんとか復学、そして進路を考えられる状態になってきた。

そんな自分にも、なぜかまめに連絡をとってくれる人間が3人いる。

1人は高校の同級生でかつ同じ小・中学でもある友達。

中学のころは気が合ってよく遊んでいたが、高校に入って少し疎遠になってしまった。

大学になってからはたまに連絡を取り合っていたが、

自分自身が落ち込んでいるとき、彼もまた精神的に病んでいるらしかった。

そういうこともあってかお互い漠然とした悩みを話したり、またそういうことを抜きにして遊んだりもした。

蛇足だが元来無趣味であった自分に、いわゆるオタ(アキバ系)の知識を吹き込んだのは彼である。

世間的にみてプラスかどうかはわからないが、おかげでそれが日常のハリとなり、他の趣味もできた。

基本的に彼には何事も敵う気がしないのだが、最近では不思議劣等感を感じることは少なくなってきた。

それはいろいろと悩むうちに、自分なりに自分の価値を構築することができたからではないかと思う。

1人は大学の同じ学科だった友達。

彼とは入学してすぐ知り合った。

しばらくは仲良くしていたのだが、次第に彼の言動や自分に対する態度に疑問をもつようになり、

結局は一方的に自分から接することをやめてしまい、また彼の周辺の人間とも話さなくなった。

自分から人間関係を構築することが苦手だったので、それからは大学で孤立しがちになってしまった。

一年前に彼から連絡が入り、半信半疑で会ったのだが、以前に彼から受けた嫌な感じはほとんどなくなっていた。

詳しいことはわからないが、おそらく彼自身、それ以後様々な経験を積み、成長していったのだと思う。

大学生活もろともから逃げ出してしまった自分との対比が浮き彫りになり、恥ずかしかった。

それからは意外と話があうようになり(たまに政治社会問題のことも話したりする)、いい励みになっている。

1人は母親

父親が高校ときに死んでしまい、以後家族を支えてくれている。

母の性格は一言でいえば天真爛漫であり、いい歳してかわいげのある感じなのだが、

無口な自分とは合わない部分もあり、衝突することも少なくなかった。

ときには死にたいと漏らしてしまったこともあり、過度の心配をかけてしまった。ごめんなさい。

それでも、完全に無気力不貞腐れてしまった自分に対して、嫌な顔を見せず明るく振舞ってくれた。

母という存在であるには、どれほどの寛容さが必要なのか。とても想像できない。

最後に自分の気持ちを引き出させてくれた増田感謝

これからは余計な心配をかけず、できる限りの恩返しをして(特に母親)、素直に感謝の気持ちを言えればと思っている。

2007-08-31

http://anond.hatelabo.jp/20070831001112

しかし、そういう人間がいるかげに、その何倍もの数の色々手間隙金かけたけどモノにならなかった人間てのがいるわけで。そのうちの最も幸運かつ能力に恵まれた人間だけ見て、悲劇を気取るのは、なんだかな。

別に、東大とか音大に行くぐらいは才能がなくてもできるよ。環境さえよければね。モノにならなかった人間は、環境が悪かったかそこまで貪欲になりきれなかったかでしょ。

悲劇?そんな大げさでなく、格差ってものはそういうもんでしょ、という話だけどな。

凡才の底上げみたいなもんまで当たり前に欲しがるのは欲張りでない?別の言い方をすれば、効率が悪い。効率が悪いもんを手間隙金かけてなんとか出来るってのは、そりゃ分かりやすい金持ちの特権でない?

いや、それを言っちゃおしまいだ。効率が悪いものを欲してはいけないだって?そりゃ努力の否定そのものだ。才能があるかないかなんてやってみないとわからんよ。天才と神童は別物。鈍才かと思えば大業績を残すなんて人もいる。田中耕一さんを見てごらんよ。彼は一浪一留学部卒だよ。

それに、何のさしたる取り柄もない人間がたとえば東大を目指しちゃいけないのかい?学校教育なんてのは、国ぐるみの「凡人の底上げ」だよ。

欲張りだって?内面を磨き上げたいという欲求まで、金がないために否定されなきゃいけないのか?何も、世界に一点しかない名画を独占して退蔵したいなんて言ってない。素人芸を身に付けたいと言っているだけなんだ。俺の現在の拙い素人芸でもどれほどの心の救いになっているかわからないのに、もっと充実した腕前を持っている人がどれほど幸せ人生を送っているか、想像するだけで羨ましいよ。それがわかってもらえないかなあ。

2007-03-15

ある病人の半生

 小学校の終わり頃に患った精神障害(かなり特殊な神経症のひとつ)に人生を狂わされた。あまりにも早すぎて、まだ碌に人生など始まっていない時期の発症だったから、狂わされたというのは少し妙な言い方かもしれない。ともかく、あるきっかけから発症し、その後の生活は全てその障害に支配されることになってしまった。対人恐怖症に似たもので、自分の内面を知られることや、人と会話することが恐ろしくて、何もできなくなった。たくさんいた友達を全て失って、親や兄弟との会話も難しくなった。なんとか学校には行っていたけど、ずっと一人だった。昼休み図書館の一番奥の席で誰にも見つからないように時間を過ごし、授業が終わると真っ先に教室を出て、近所の公園に向かった。そこのベンチに座って何時間が過ごして、6時くらいになったら家に戻るという毎日だった。いちおう部活に籍を置いていたから、家にはあまりはやく帰れなかった。傍から見たら、完全な狂人のような生活を送っていた。

 これほど苦しいのに、自分の精神に起こっている異常を誰かに打ち明ける勇気がなかった。臆病さに関しては僕の右に出る人はいないだろう。とにかく自分が情けなかった。他人とまともに顔を合わせて話せないほどの重症だったんだ。そんな風に、誰の助けを求めることもできないまま一人で悩み続け、中学高校の6年間を過ごした。

 高校卒業間際になっても病気が治る見込みなんてまるでなかったから、将来どうしていいのか全くわからなかった。大学へ行ったところでうまくやっていけるわけはない。かといって就職できるわけでもない。結局、センター試験でわざと低い点数を取った。そうすれば親に何も説明せずに、浪人というモラトリアム生活を送れると思ったんだ。一悶着があったのだけど、どうしても大学に行きたいからと親に言って、なんとか浪人生活を送ることになった。

 数ヶ月間、何もしない時期が続いた。金がかかるからと言って、予備校には行かなかった。図書館勉強してくると言っては、誰もいない山道をぶらぶらと歩いたり、本屋で時間をつぶしたりしていた。でも、秋頃からはさすがにまずいと思って勉強を始めて、なんとか入試には合格した。とにかく実家から離れたかったからわざと遠い大学を受けて、親にはどうしてもここに行きたいからといって認めてもらい、一人暮らしをすることになった。

 大学へ入っても相変わらず、他人との一切の接触を絶った生活を続けた。でも、ほんの僅かな救いは、中学高校の頃に比べれば病気が少しだけ楽になってきたことだった。少なくとも一人で部屋にいるときは落ち着いて本を読んだり、ネットをしたりできるようになった。掲示板チャットから、数少ない他人との繋がりが生まれるようになった。

 やはり学校にあまり行けなかったから一留してしまったけど、それでもやがて3年の冬になり、就職活動をしなければいけなくなった。たんまりとたまった奨学金、そして今後の生活のために、働かなければならない。そうしなければ生きていけない。今までの学費で親の貯金は全て消えてしまったのだから。

 似合わないリクルートスーツを着て、面接適当に愛想笑いで誤魔化しながら、なんとか一つの会社内定を貰うことはできた。今の僕は、その内定を貰った後、4月の正式な入社を控えている状態だ。2年遅れているから、24歳の大学4年生だ。

 就職はしなければならない。そうしなければやっていけないのだから。でも、とにかく孤独過ぎて、どう言っていいのかわからないほど苦しい。自分を理解してくれる人なんて今後も現れるわけはない。ただの失恋の悩みや、人間関係の悩みとはわけが違う。自分は精神科医ですらほとんど知らないほどの特殊な症例なのだから。こんな自分の内面を理解できるのは、インターネット掲示板でときおり出会う、かけがえのない同病の人達だけだ。顔も知らず、匿名言葉を交わすだけの薄い繋がりではあるけど・・。

 あまりにも世間知らずで、対人接触の経験の無い異質な人間が、健常者にすら過酷なサラリーマン社会に出ていこうとしている。障害者枠で働いていくことも考えたけど、それは自分のプライドが許せなかった。今まで読んでくれた人は気付いているかもしれないけど、精神障害を抱えながらでもやってこれたのは、ひとえにプライドが高いからだ。周りの人間になめられたくない、負けたくないとう動機だけでここまでやってきたのだと思う。

 でも、本当はいまさらどんな努力をしたことろで、健常者とまともに戦えるわけはないこともよくわかっている。身体障害者にはパラリンピックという晴れ舞台が用意されているけど、健常者に混ざって生きる精神障害者には何もない。理解者もいなければ、助けてくれる人もいない。全ての困難を、何の賞賛も無いままに、自分自身の力だけで乗り切っていかなければならない。

 これからも何度も何度も悩むだろう。絶望するだろう。その度に酒を力を借りて誤魔化し、一人でじっと夜明けが来るを待つんだろう・・。

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