「夜明け」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 夜明けとは

2007-07-17

情報洪水

いくらRSSリーダーを使ってもブログ世界の膨大な情報を処理することができない。

未読をゼロにしても一夜明けたらまた1000以上溜まってる。

好きで読んでることが作業にかわる。

2007-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20070619172413

思い返してみましたが、

調子が悪くてなかなかイケない日というのはないようです。

仮に昨晩にセックスしていたとしても、

夜明ければ弾倉は充分に満たされています。

シコシコに励んでいて遅刻することはよくありますが。

2007-06-16

自然とは素晴らしい。

ここ15分ぐらいで表情がさらに和らいだ。

夜明けとは素晴らしい。まさに希望、まさに愛。

んんパーフェクトな夜明けだ。

2007-06-13

10年前の自分の怠惰

昔、所属していたサークルには、練習が遅くなると自分を含む女の子数人を先輩が車で順番に送る習慣があった。私はいつも最後だった。

その人は大先輩で、8年つきあってる彼女さんがいて、自分とは年が12歳も離れていたから、信用しきっていた。好きでも嫌いでもなかったしね。

で、うっかり眠ってしまい、気が着いたら車は知らない山の中に止められていて、まぁ要するに無理矢理やられてしまったんだ。私は当時18歳で処女だった。

それまでずっと「好きでもない人とセックスするのなんか信じられない!初めては本当に好きな人とする!」と言い張っていたし、本当にそう思っていたのに、その時は頭の中が麻痺したような感じになって「早く終わらないかな」とか考えていた。

抵抗したけれど力では全く敵わず、「ここであまり騒いで殺されたくない」「寝てしまった自分が悪い」「今、車から降りてもここがどこか分からないから帰れない」という自分でも信じられないぐらいの冷静さ。

コトが終わってから家まで送ってもらう間、一言も口をきかず無言で車を降りた。部屋でぼーっとしたまま一夜明けて翌朝、その先輩から機嫌をうかがうような電話がかかってきた。ここで罵倒すれば良かったんだけど、麻痺しっぱなしだったんで、まったくいつもどおりのテンションで「おはようございまーす!次の練習ですけどー」ってスルーしてしまった。何で?と思うけどスルーしてしまった。それからスルーしたまんま、誰にも言わず、練習で顔を合わせても何もせず、1週間後にサークルを辞めて実家に帰った。

自分がこれほどまでに貞操観念が薄い人間だったことに驚いた。なんで抵抗しなかったのか、なんで罵倒しなかったのか、なんで弾劾しなかったのか、今でも分からない。何もなかった、と思いたかったのかもしれない。

それから10年、何度か恋人が出来たけれど、少しでも私が嫌な時にセックスを無理強いするようなことがあれば、すぐに別れるということを繰り返した。「穴さえあれば誰でもいいんじゃないか」と、一気に冷めてしまって、恋人を最後まで信用しきれなくなった。

私は心の貧しい、捻くれた人間だ。私にしたい時としたくない時があるのと同じように、恋人にだってしたい時としたくない時がある。それが完璧にかみ合うことなんて絶対ないのに、あっさり切り捨てた。10年前、決着をつけなかった自分の怠惰のツケを、ずっと払わされているような気がする。

もういい年なんだし、そろそろ何とかしなくちゃなあということで、10年で初めて人に言ってみたよ。こんなことに増田を使ってすみません。

2007-05-07

http://anond.hatelabo.jp/20070507204842

ID晒しもせずにどんだけー


新宿3丁目で夜明け前におなかをすかしたオカマがいいました。

ママー、なにか食べるものないの?」

「しょうがないわね、今まかないでなんかつくってあげるから。」

空が白み始めおかまヒゲが青くなったころにひとつの料理が出てきました。

ママさん特性の釜揚げうどんです。

「はい!おかまだけに釜揚げよ!」

「えーー、うどんだけーーー!」

(う)どんだけー流行った裏話しでした。

2007-03-18

anond:20070318141738

大丈夫だよ!引っ越し前夜から荷造りしはじめた人間がここにいるよ!

でも当日夜明けぐらいにもうダメかもと思ってちょっと泣いたよ!

5年くらいたっても開けてないダンボールがあるのは秘密だよ!

2007-03-15

OK

http://anond.hatelabo.jp/20070315181818

夜明け前なんだね。

親が年を取って弱って、いつの間にか自分が面倒見る側に回っていたり、

自分の子供がもしかして自分より大事なんじゃないか?

って勘違いしてしまうほどの存在に思えたり、

人生ではそういうことも起こるんだよ。

そして親だけじゃなく、友達や兄弟の葬式に出るようになって、

自分も必ず死ぬのだということを思い知る日が来る。

それからもう一度葬式について考えてみようか?

ある病人の半生

 小学校の終わり頃に患った精神障害(かなり特殊な神経症のひとつ)に人生を狂わされた。あまりにも早すぎて、まだ碌に人生など始まっていない時期の発症だったから、狂わされたというのは少し妙な言い方かもしれない。ともかく、あるきっかけから発症し、その後の生活は全てその障害に支配されることになってしまった。対人恐怖症に似たもので、自分の内面を知られることや、人と会話することが恐ろしくて、何もできなくなった。たくさんいた友達を全て失って、親や兄弟との会話も難しくなった。なんとか学校には行っていたけど、ずっと一人だった。昼休み図書館の一番奥の席で誰にも見つからないように時間を過ごし、授業が終わると真っ先に教室を出て、近所の公園に向かった。そこのベンチに座って何時間が過ごして、6時くらいになったら家に戻るという毎日だった。いちおう部活に籍を置いていたから、家にはあまりはやく帰れなかった。傍から見たら、完全な狂人のような生活を送っていた。

 これほど苦しいのに、自分の精神に起こっている異常を誰かに打ち明ける勇気がなかった。臆病さに関しては僕の右に出る人はいないだろう。とにかく自分が情けなかった。他人とまともに顔を合わせて話せないほどの重症だったんだ。そんな風に、誰の助けを求めることもできないまま一人で悩み続け、中学高校の6年間を過ごした。

 高校卒業間際になっても病気が治る見込みなんてまるでなかったから、将来どうしていいのか全くわからなかった。大学へ行ったところでうまくやっていけるわけはない。かといって就職できるわけでもない。結局、センター試験でわざと低い点数を取った。そうすれば親に何も説明せずに、浪人というモラトリアム生活を送れると思ったんだ。一悶着があったのだけど、どうしても大学に行きたいからと親に言って、なんとか浪人生活を送ることになった。

 数ヶ月間、何もしない時期が続いた。金がかかるからと言って、予備校には行かなかった。図書館勉強してくると言っては、誰もいない山道をぶらぶらと歩いたり、本屋で時間をつぶしたりしていた。でも、秋頃からはさすがにまずいと思って勉強を始めて、なんとか入試には合格した。とにかく実家から離れたかったからわざと遠い大学を受けて、親にはどうしてもここに行きたいからといって認めてもらい、一人暮らしをすることになった。

 大学へ入っても相変わらず、他人との一切の接触を絶った生活を続けた。でも、ほんの僅かな救いは、中学高校の頃に比べれば病気が少しだけ楽になってきたことだった。少なくとも一人で部屋にいるときは落ち着いて本を読んだり、ネットをしたりできるようになった。掲示板チャットから、数少ない他人との繋がりが生まれるようになった。

 やはり学校にあまり行けなかったから一留してしまったけど、それでもやがて3年の冬になり、就職活動をしなければいけなくなった。たんまりとたまった奨学金、そして今後の生活のために、働かなければならない。そうしなければ生きていけない。今までの学費で親の貯金は全て消えてしまったのだから。

 似合わないリクルートスーツを着て、面接適当に愛想笑いで誤魔化しながら、なんとか一つの会社内定を貰うことはできた。今の僕は、その内定を貰った後、4月の正式な入社を控えている状態だ。2年遅れているから、24歳の大学4年生だ。

 就職はしなければならない。そうしなければやっていけないのだから。でも、とにかく孤独過ぎて、どう言っていいのかわからないほど苦しい。自分を理解してくれる人なんて今後も現れるわけはない。ただの失恋の悩みや、人間関係の悩みとはわけが違う。自分は精神科医ですらほとんど知らないほどの特殊な症例なのだから。こんな自分の内面を理解できるのは、インターネット掲示板でときおり出会う、かけがえのない同病の人達だけだ。顔も知らず、匿名言葉を交わすだけの薄い繋がりではあるけど・・。

 あまりにも世間知らずで、対人接触の経験の無い異質な人間が、健常者にすら過酷なサラリーマン社会に出ていこうとしている。障害者枠で働いていくことも考えたけど、それは自分のプライドが許せなかった。今まで読んでくれた人は気付いているかもしれないけど、精神障害を抱えながらでもやってこれたのは、ひとえにプライドが高いからだ。周りの人間になめられたくない、負けたくないとう動機だけでここまでやってきたのだと思う。

 でも、本当はいまさらどんな努力をしたことろで、健常者とまともに戦えるわけはないこともよくわかっている。身体障害者にはパラリンピックという晴れ舞台が用意されているけど、健常者に混ざって生きる精神障害者には何もない。理解者もいなければ、助けてくれる人もいない。全ての困難を、何の賞賛も無いままに、自分自身の力だけで乗り切っていかなければならない。

 これからも何度も何度も悩むだろう。絶望するだろう。その度に酒を力を借りて誤魔化し、一人でじっと夜明けが来るを待つんだろう・・。

2007-03-08

真夜中にか細い声に出して唄いたい日本の歌

かごめかごめ

籠の中の鳥は

いついつ出やる

夜明けの晩に

鶴と亀と滑った

後ろの正面だあれ?

2007-02-09

日記

昔々のお話です。

ある日のこと、神様はてな中の動物たちにこう言いました。

「明日の朝、わしの書いた記事にブックマークをつけた順に、12種類の動物たちをアルファブックマーカーに決めるぞ」

動物たちは張り切りました。特に、ウシは、真面目で努力家だけれどのろまでいつもみんなにバカにされていたので、今度は絶対一番になってやるぞ、と決意を新たにしていました。

次の朝。ウシは夜明け前から早起きして、PCの前で頑張っていました。やがて、神様の記事がアップされました。

よし、一番にブクマだ!と思ったその瞬間。

ウシの肩にこっそり隠れて乗っていたネズミが飛び下りました。ネズミは素早くウシより先にブクマしてしまいました。

そうです。ずる賢いネズミは、ウシが頑張ろうとしているのを知って、最初からウシの肩で眠り、ウシがブクマしようと動いた時に目覚めて、1番を奪ったのです。

こうして、アルファブックマーカーの1番は、ネズミ、2番はウシ、ということになり、以下トラ、ウサギなど12種が今に伝えられているのだそうです。

ちなみに、ネコがいないのは、ネズミに騙されたわけではなくて、「けっ、神様の記事なんてどうせつまんないしブクマする価値ねぇし、アルファなんとかとか興味ねぇし」と最初から参加しなかったからだそうですよ。

という夢を今朝見た。って日記

2006-12-27

毎日がエブリデイ

ときどき無性に日の出が見たくなる。

それは今日みたいにこんな時間に目が覚めてしまった、あるいは今まで起きていたような日で、

つまりは不規則な生活のあらわれだ。怠惰の証拠だ。だって普段の俺の生活リズムなら

こんな時間に起きるはずなんてない。ぐうたらし尽くしてるとき、たまにこんな時間に起きてる。

そして無性に日の出が見たくなる。

もしくは逆に、無性に日の出が見たくなったから起きた、のかもしれない。

まあとにかく見たくなる。特に冬の空は格別だ。月並みだけど空気が張り詰めてていい。静けさが際立つし、空の迫力が尋常じゃない。今夜明けだが、昨日みたいにものすごく降ったあとでカラカラに晴れたときの夜明け前から日の出までなんて、もうこれだけで泣けるぐらい凄い。そして日の出はもっと凄い。見た瞬間、今日も一日頑張ろう、って気になる。頑張る?こんな時間に起きてるぐらいぐうたらなのに?眠気も最高潮のはずなのに?そう。実際今日も一日頑張れない。あの誓いは何だったんだってなるのがいつものパターン。でも、太陽を見てる間だけはホントに、心の底から勢いがせりあがってくる。やっぱ太陽は凄い。自殺志願者は富士樹海へ行く前に五合目でも何でも行って太陽を見るべきだと思う。富士山といえば毎年元旦ニュース初日の出をみ隊、のような連中報道されるけど、あの人たちの気持ちはホントわかる。年明けたばっかなのに人波にもまれて人が作ったおみくじ一喜一憂するのはさらさらごめんだけど、年明けたばっかなのに日本で一番高い山をヒーヒー言いながらただ単にでかい火の玉眺めに登るのは全然アリだ。ていうかこれ打ってる間に空がもう白んできたけど、どうやら今日はハズレの日みたいだ。カラッカラに晴れてるかと思いきや、ホライズンのあたりにクラウドがギッシリで日の出がよく見えないまま朝になってしまった。でも何か元気だ。打ってる間に心の中で今まで何度も見た日の出シミュレートしたおかげかもしれない。太陽は、俺の心の中にあるんだね・・・。よし、かっこいいこと言った気がする。そろそろ寝よう。もう7時だし。・・・あれ?

 
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