はてなキーワード: デジタルカメラとは
10月10日。
僕は学生だけど、
時間的な流れの感覚は多少狂ってる。
眠くなったら、何時だろうが気にせずに寝るし、
テキトーに起きてから1日が始まる生活をしている。
あとは卒業するだけ。
今年1年間はこんな生活がずっと続いていた。
さすがに、
この生活をずっとしているのは、社会に出てから大変だなと思ったので、
10月10日という日。
この日は、
友達との予定があることは覚えていたが、
どこで何時に待ち合わせしたとかは覚えてなかった。
15時の待ち合わせだったんだけど、
その時間を教えてくれたのが、待ち合わせ時間の1時間前に掛かってきた友達からの電話だった。
「ごめーん。18時からかと思ってたー。今すぐに急いで行くねー!」
言い訳を交えて急いで現地に向かった。
しかし、
待ち合わせ場所に着いたのは、
予定より1時間も遅れてだ。
「ごめーん。電車の乗り換えに失敗して遅れちゃったー。」
おかげで、友達と一緒に行くイベントには1時間ちょっと遅れることになった。
それから帰宅して、
PCを起動した。
mixiを開くとあるページに僕がアップした動画についてのコメントがあった。
「どうなのこの見せ方は?」という
僕の撮ったムービーのキャプションについての問題を指摘していた。
そのコメントに対して、
「ご指摘をありがとうございます。もっと対象者に近づいて撮影をしようと思ったんですけど、人が多くて。。。。
それと、私は素人なので、、、、。それと、写真用のデジタルカメラなので、、、。」
というような感じで僕は批判されたことに対して言い訳を考えていた。
でも、3度目の言い訳のときには
それを自分の中で留めて外には出さなかった。
「言い訳」っていうのは、
自分を守るために言葉を使っているだけで、
よくよく考えたら格好悪いことだなって、
悟った。
待ち合わせの時間を誤ったのも、
「確認不足」
なことだし。
電車の乗り換えに失敗したことも、
「準備不足」
なことだし。
ムービーの見せ方が悪いのも、
「クオリティの不足」
なことだし。
これは全て
日頃の僕の生活のルーズさから来ているものだし。
こんな感じに、
ここで、
言い訳とはさよなら。
確認。準備。クオリティ。
新しい自分にこんにちわ。
いつから?
今から。
1万2、3千円で売られていたものが、結構な高値で落札されている。
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http://aucfan.com/search1?y=13&ss=16127&t=200708&q=%a5%d4%a5%b3%a5%b7%a5%e7%a5%c3%a5%c8&x=47&o=t1
http://aucfan.com/search1?y=14&ss=16127&t=200707&q=%a5%d4%a5%b3%a5%b7%a5%e7%a5%c3%a5%c8&x=56&o=t1
http://aucfan.com/search1?y=10&ss=16127&t=200701&q=%a5%d4%a5%b3%a5%b7%a5%e7%a5%c3%a5%c8&x=52&o=t1
バイト中、である。そろそろ日付が変わろうとしてる。午後11時33分。今日の業務も終わりにちかい。
はやくかえりたい。きのうは徹夜だった。朝になっても眠れなかったからそのまま出勤した。眠い。あくびをかみ殺す。
24時間前に来ればよかったのに。眠気。
見本を受け取りに3階へいく。最近は規則が厳しくなった。デスクにその旨を伝えバイト用ICカードを受け取る。
このバイトをはじめて2年以上経つ。なんだか最近はとてもたいくつだ。
もう一人のバイトさんはもう帰ってしまってオフィスに居るのは僕とデスクだけ。
まあ彼が居てもあまり話さないのだけど。
非コミュ。お互いに。
趣味は似てるんだけどな。嫌ってわけじゃない。むしろ金曜のバイトはお喋りしなくて良いから楽。
火曜に一緒になる女の子はお喋り好きでどうにも疲れる。可愛いんだけどね。どうにも疲れてしまう。
ふたりとも別に嫌いじゃない。これ以上仲良くはなれないだろうけど。
エレベーターで6階に降りる。すっと引っ張られるような感覚。三階下におりる。目的の部署へ向かう。
おつかれさまでーす。ありがとうございまーす。
脊髄から出てくる言葉。意味のない。社交辞令? たいくつだ。とても。
ここ1年くらいはもう何も考えずに仕事が出来るようになっている。
はぁっ。とため息をつく。何もかもおもしろくない。数ヶ月間この状態だ。
まったくあきれてしまう。自分の弱さに。彼女に振られたくらいで。
なんだか胸にあいた穴をついばまれているような感覚。最近はもうめっきり仲良しです。憎らしい。
安っぽいな。そう思う。
テレビのドラマなんてもう何年も見てない気がするけど、そこで繰り広げられる安っぽい恋の話よりも安っぽい自分を。
ぐるぐるとまわる。あたまのなか。眠い。頭はぼけーとしている。傍目に見てもフラフラしているかもしれない。
でも慣れきってしまった僕はそれでもカンペキに仕事をこなせる。バイトをしている最中の僕は人としては死んでいるかもしれない。
まあどうでもいいや。時給高いし。見本は受け取った。
自分の部署へ戻ってファックスをNYにしゅるりるると流し込んでメールを送って確認を入れればもうこんなところとはバイバイ。
ああ、おもしろくない。おもしろくない、かわりばえのしないルーティンワーク。
ため息のかわりにあくびをかみ殺す。極力フラフラしないように足早にそこから去ろうとする。
何かのCMらしきものがやっている。
そこではとっても綺麗な切れ長の目の女の子がドレスを着て優雅に歩いていた。
なんて名前の子だったかな。柴咲コウにちょっと似ている。
流れるような動作。美しい。風のように流れていく。ひゅらりと。多分とってもいい匂いがするんだろう。
彼女が振り向く。投げかけてくる。蠱惑的な視線。
しなやかな長い指でポーチから何かを取り出す。たったそれだけの動作すらセクシーだ。
とても大事そうに、うっとりとそれに視線をおとす彼女。
相変わらずあつく潤んだ瞳は今度はテレビの前の僕の方に向けられている。
一瞬の後、彼女の姿がぼやけていき商品の名前が出てCMは終わった。
僕は唐突に笑い出したくなった。滑稽だった。
彼女に振られたくらいで死にたくなるような気分におそわれている僕が。
「これって新製品なのよ。すごいでしょう?」とでも言いたげに艶やかにわらう女が。
別れた後にも『貴方のこと、尊敬してるし、人間として大好きだから、友達でいたい』なんていう僕の恋人だった女の子が。
そしてそれを受け入れてしまって、ことあるごとに「以前」に戻ってしまった彼女の態度を実感して傷ついている僕が。
ははは。なんだよもう。すべてがやすっぽい。滑稽だ。おもしろすぎる。
徹夜明けのぐちゃぐちゃした頭の中がほのかに熱を帯びてくる。
我慢してもにやけ顔はとまらない。僕はおおいそぎで仕事を片付け、まだ寒い、そして誰もいない夜の大手町に駆け出すと、大声でわらった。
わらいつづけた。なみだがでてきた。
たとえば恋人がいて、その人が笑った顔の柔らかさに
「ああ、この表情はきっと私しか見れないに違いない」と感動して、
でも、懇願した挙句いざ撮ってみると
ファインダー越しでは違う表情に見えて、
ああ、あんなに美しく見えたのは
私がこの人を好きという感情のためだったのか、
そんなのデジタルカメラで写せるわけないじゃないか、
と気付く。
ここまでは誰でも経験があるだろう。
そこで諦めずに、
「そうだ、じゃあ絵に描こう」と思い立つことが
私には出来る(頭良くね?)のだけど、
何度鉛筆を走らせても、絵心がなくてうまく描けなかった。
私はこの人を好きじゃないのではないかとすら思ったくらいだ。
だから、こういう時に、
自分の感動を完全に表現出来る人になりたいなあー
と思った。
別に絵じゃなくたって、
そもそも写真が上手に撮れればそれで良いし、
読み返す度に優しい気持ちになれるような文章が書ければそれでも良いし、
感動した勢いで一曲作れたりしてもいいかもしれない。
創造力を掻き立てるものは周りに溢れているのに、
それを的確に表現出来る才能がないというのは、なんと悲しいことか…!
私は自分に才能がないと決め付けて表現することをやめてしまったけど、
(もっとも、”やめる”なんて言うほど大それた試みはしてないけれども)
いつか完全なものがひとつでも作れればいいじゃないかと、
不完全なものを作り続けている人たちを見ると、
なんかもう自分ってどうしようもないなあと思う。
会議室のテーブルに捨て置かれた週刊誌をめくったら最近の女はハメ撮りを嫌がらないという話があった。そんな映像を見てもエロでもないだろうと思いながら、メディアの仕事をしているのに若い子のメディア感覚に付いて行けない自分を苦笑した。携帯電話も禄に使いこなせない。受けるか掛けるかだけだ。電子メールの操作もわからない。デジタルカメラ機能も使ったことがないが性交の記念写真を撮る気もない。
ハメ撮りではないが、ヴァギナの奥までペニスを差し入れて女を固定し、半身を起こして眼前の乳房を嬲る時の、女ごとに姿態の差を観察するのは嫌いではない。開放された女の手が面白い。手を伸ばして男の腰にしがみ付こうとする女。シーツを掴む女。拳を握って硬直する女。恥ずかしそうに顔を覆う女。髪に手を入れて頭痛に堪えるように苦悶する女。捌かれた魚のように両手を上げて宗教的な救いを求める女。縛められる快感を知った女は頭上に手を揃え手首を絞ってねだる。その要求には応えない。女が快感のなかに沈んで行くことを許したくない。
怒張したペニスを嵌められたまま乳房と乳首を嬲られ、苦悶と喘ぎに手の置きようもなく惑う女の痴態は映像になるだろうか。撮れば撮れるかもしれないが出産シーンと変わりあるまい。女の肉体だけが映し出されペニスと繋がりが見えない絵を想像してぞっとするのは、ペニスを包み込む女の性に結局甘えを求めてしまうからだろう。
女たちはどう絶頂を迎えるのか。巷には絶頂に至る経緯を株価の推移のように描いた図もあるが、女の絶頂に個性と意思はあっても法則性はなさそうだ。男の射精のように一気に萎える女もいるし、糸を吐く芋虫のように静かに快感の涎を流し続ける女もいる。しかし女たちに愛情や男への執着が目覚めるころになれば、女は悦楽に浸りながらも男の射精の、その哀れな最後を優しく待つようになる。三十代に数年関係の続いた女だったが久しぶりの再会で、飢えたように性交したら五分も経たず射精してしまった。不覚と自己嫌悪に沈みそうになったその瞬間まだ十分に快感のヴォルテージを上げていないはずの女が私の背に爪を立てきつく抱き返して絶頂らしい呻き声を上げた。演技かと反射的に思ったが膣の中には絶頂の自然な蠕動があった。これが女の愛か。そうしたことはその後も幾度か経験した。愛とは奇妙なものだ。
性の技巧など腐るほど語られているがそれでも性交にはあまり語られない技巧がある。例えばペニスを嵌めて固定した女の乳房を嬲る時、性の技巧と言えるのは女の意識の流れとの駆け引きだなのだ。女を愛しているか愛していないか。愛してるならどこで快感の幻想に男が屈して死んでいくべきか。男の意識の砕き方とペニスの応答の間合いは難しい。
ぼんやりとした思いを断ち切るように携帯電話が鳴った。いやなものだ。
F子だった。「夕食は魚よ。あと一時間したらできるわ」と言ってフランス語の料理名を言ったがわからない。
「フランス料理なんて食いたくない。魚は塩焼きにしてくれ」と告げると、F子は「美味しいわよ。白ワイン買ってきてね」と言う。上機嫌な感じだけが伝わってくる。
「わかったよ」と携帯電話を切った。