お掃除業者の動画を見るのが好きだ。分類し、部屋が空っぽになっていく様を見ると自分の掃除も捗る。
某動画サイトには個人のお片付け動画だけではなく、そんな業者さんが依頼主の許可を取ってたくさん動画をあげている。
社会人で一人暮らししていたとある人が若くして病死してしまったために、家族が依頼した片付けだった。
先日亡くなった大好きな同人作家さんだ。
作家さんは闘病ののちに亡くなった。SNSで闘病を淡々と報告し、最期は信頼できるご友人がSNSでそれを伝えてくれた。
業者さんの話と部屋の状況の中で、かの作家さんの病名・病院の種類・性別そして大まかな年齢(業者さんが自分と変わりないくらいの年だと思う、と荷物から予想していた)、並べられている本、持っていたフィギュアの箱、乱雑に置かれたぎりぎり判別できる作家さんの絵、そして同人誌を書いていたという情報、いつも使っていた印刷会社の箱、それらが重なる。けれどもそれだけならば、同時期に似た境遇の似たジャンルの人がもうひとり惜しくも世を去っていた、という悲しい現実があるだけだと思った。偶然の一致というやつである。絵はきっとペーパーだろう、そうだと思いたかった。見えているジャンル二つは大きなところだし、もうひとつだってマイナーだけれども彼または彼女のSNSや活動を見ていたら知っている作品だろう。
そう思いたかった。
作家さんが「今までにこれだけ本を出したよ」と発行した同人誌を積んでいたあのテーブルに似ている。くしくもその写真を私は保存していた。小さなテーブル、バックに見える茶色いカーテン、そして写真にちょっとだけ写った赤いじゅうたん。
もう、疑いようもなくあの人の部屋だった。
pixivもTwitterもすべてを友人に託して、そして死後それらを消すように友人に依頼していた作家さん。
私が知っているのは同人作家さんとしてのかの人だけだったけれども、こうして彼または彼女の生身に近い場所に突然触れることになるとは思わなかった。
その作家さん、こうして死後その部屋を公開されることを望んだだろうか。
最後まで家族を縁を切っているといっていた作家さんの家族がこうして動画を公開を了承したことにもやる気持ちを抑えつつ、けれども不謹慎すぎて自分のSNSで話題にもできず、こうして匿名にぶつけることにした。
彼または彼女の私生活を思わぬ形で知ることになってしまった後ろめたさにどうしようもなくなる。
改めて、はかなくも若くして病で逝ってしまった彼または彼女の安らかな安寧を願う。
それにしたってこんな形で死後部屋がインターネットで公開されるなんて思わないよね……明日は我が身、きっちりとエンディングノートを作ろうと決めた。