2023-10-14

ここ数日、衝撃的な映像が駆け巡った。

ニュースの内容も悲惨暴力を伝えてくる。

そうしたなかで地味だが印象深い報道を読んだ。

イスラエルでは献血のために人々が集まり、2時間3時間献血するために待機する人々が当たり前のように存在しているということだ。

兵士たちが前線に立ち負傷する。

その生命を助けるために、自らの血液提供する。

この行動は、何なのだろうか?

国家を持たないことの悲惨さ。

突き詰めれば、パレスチナ問題とはここにたどり着く。

国家とはすなわち自衛する権利能力がある集団を言う。

それがない集団は、ただ自らの運命他者に委ねるしかない。

そしてイスラエル国家自衛する行動も、この悲惨さを知りぬいた上でのものだ。

彼らはホロコースト経験を経て、強く強く思い知らされたのだ。

世界中ユダヤ人がいつでも安全に暮らせる場所絶対に作らなければならない守らなければならない。

そのことを。

今日起きて、仕事に行き、帰宅して寝る。そして明日も起きて仕事に行き、帰宅して寝る。明後日も…

こんな当たり前のルーティンをただ繰り返している。

それだけで国家というものは当たり前のように存在している。

それが現実世界であると、常識である認識している日本とは異なる世界だ。

国家国家として存立させるためにその構成員が参加しなければならない。

それは戦争に行くことであったり血液提供することであったり、方法は様々だ。

そうした行動をすることで、我々は我々自身を守ることが出来るのだ。

そう彼らは知っている。

彼らはパレスチナの人々を力で支配する。

それは逆説的で悲しいことだ。

彼らは国家を持たないことの悲惨さの恐怖にかられて行動しつつ国家を持たないことの悲惨さをこの世に具現化する行動を起こす。

この世の地獄とは、そういうことを言うのではないか

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