2023-10-06

写経型板書文化子供の字を汚くしている

ソースは俺

俺だけがソース

この世界で唯一人、俺が知っているソースN=1。

でもきっと同じような人がどこかにはいる。

一人一人が持ち寄ればM=総数。

総数のソース


俺さ、3月生まれ

しかも発育も弱め。

小学校入学時に背の順一番前。

番手に3cm差をつけられてた超ドチビ

マジで発達がゴミの当時。

特に無理なのが「書き方」の授業だった。

今思うと握力が根本的に足りてなかった。

鉛筆を握るのに渾身の力が必要

めっちゃ強く握ってようやく字をかけるだけの安定性を得た。

んで教師は言う。

もっと力を抜いて」

「抜きすぎだよ」

「ふざけてるの?」

マジで辛かった。

そんな俺は放ったまま写経文化が始まる。

ドンドン授業ではノートの板書が始まる。

俺は死にものぐるいで黒板を写したよ。

内容を理解してるかどうかじゃないんだ。

黒板を写してるかどうかが全て。

教師の側の気持ちもわかる。

全ての生徒に「内容わかってますか?聞いてますそもそも?」とやっても限界がある。

全員に「とにかく写せよ。黒板をよ」と命じるしかない。

出来ないやつは晒し上げる。

だってノートという証拠がある。

楽とかじゃないんだ。

それよりもマシな管理法が存在してないんだろう。

俺はマジで必死だった。

ミミズののたくったような字を通り越していた。

教師に「ちゃんと写してるね」と許されるためのギリギリ

そのラインを攻め続ける。

俺ですら読めない。

教師も読めない。

でも「きっとこのコなりに頑張ってる」と信じさせる。

だってスピードが間に合わないから。

俺が字を字として書けるスピードでは。

チョークが走る。

俺は必死に追いかける。

内容はもう耳に入らない。

教師が待つ。

俺の指はまだ動く。

そして黒板が消える。

間に合わない。

記憶を頼りに気合で書き上げる。

もはや字ではない。

字ではない字を書く癖だけが積み上がる。

ちゃんとした字を書く経験ではなく。

身体が誤った学習をする。

字は駆け抜けるもの

そこにあるのはフィーリングだけ。

理屈はもうどこにもない。

形は失われる。

俺も読めない。

誰も読めない。

でも書きはした。

誰もが諦めた。

テストときだけ必死に書く。

ギリギリで読める。

そして採点を受ける。

点数は他の子と変わらない。

じゃあもうこれでいいや。

そうして誤学習は進む。

字の書き方なんて分からない。

形だけの習字の授業。

ここでちゃんと学べていれば。

でもここでも同じだ。

教師はとにかく埋めろという。

必死に埋める。

何十枚も書く。

いつか許される字が出てくる。

それで通す。

永字八法を知ったのは大人になってからだ。

魔法のようだった。

読めるような字が書けるようになった。

驚いた。

俺の20年はなんだったんだろうと。

地獄だった。

せめて4月に生まれていれば。

字とは読むために書くものだと学べていれば。

誰も読めない字を書くことばかりを学ばなければ。

悔しいよ。

日本教育の歪みが俺の習字を20年遅らせた。

これが俺のソースだ。

俺の人生から絞り出した本当のソース

N=1でしかない。

だがここには確かな重みがある。

俺のNはニュートンのNだ。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん