2021-09-18

人生観死生観についてのポエム

別に特にメンタルやばい状況というわけではないのでその点はご心配なく。

 

ふと自分の掲題のあたりについて改めて考えたりしたので、書いてみます

まとまりのない文章となると思いますがご容赦下さい。

あと、別に目新しいことは多分書いてないと思います

 

なお、以下の文章で考えや認識を示しているところでは、暗黙に「個人的には、」という枕詞がついているいると思って読んでいただければと思います

(毎文につけてるとくどいので)

 

なぜ自分は生き続けるのか?(生きる目的とは何か?)

現代人であれば、一度は考えることではないかと思っています

ただ、何かの強い使命感などを持っているなどの理由から簡単に答えの出る人は少なくて、生きていく中で、同じようなことを再考し続ける人も多いのではと思っています

 

で、これについて自分場合を考えると、前提として、私はあまり生に執着の無い方だと思っています

痛かったり苦しかったりするのは嫌ですが、生を終えること自体に恐怖はありません。

人生楽しいこと、苦しいことがありますが、割合としては苦しいこと(や面倒くさいこと)の方が多いと考えているので、多分生きている方が大変なんだろうな、と感じています

(死後の世界どうこうについては置いておきます

 

ここで、唐突キアヌ・リーヴスの話をすると、彼はテレビ番組死生観を問われた際に、少し間を置いて、

  • 愛する人たちが寂しがるっていうことは確かだね」

と答えたそうです。

 

私はこの答えが自分の生きる理由一言で言い表していると感じました。

自分場合、親は存命ですし、兄弟もいます。そして既婚者でもあります(現状、子供はいません)。

 

仮に私が自死をしたとした場合、おそらくそれは、私の親にとっては、何よりもの親不孝だと思いますし、兄弟や妻にとても大きな喪失感を与えることは想像できます

(妻を幸せにする責任があるだろ、というような考え方もあると思いますが、正直なところ、それが生きる理由になるかと言えば、私の場合、ならないです)

 

そんなわけで、基本的には生きる方向で考えていたりします。

 

ちなみに、余談ですが、ある友人は「絶対に死にたくない、怖いし」 といったことを言っていて、そもそも生きる理由なんて考えない人も結構いるのかもな、とちょっとした衝撃を受けたことがあります

オチはありません。 

 

じゃあどう生きていくのか?

どこかで聞いた(見た)ものですが、

という発言を知っていて、私もおおむね同じようなメンタリティで生きています

 

ただ、つまらなかったり、退屈なのも辛いので、高杉晋作が遺したとされる以下の言葉に則って、

楽しく生きていけるようライフマネージメントしている日々です。

(上の言葉には続きがあるそうですが、ここでは省略しています

 

  

以上。

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