2021-07-29

小山田圭吾擁護に見る男女差

 現在に至っても小山田圭吾擁護することを諦めていない人間たち(北尾修一や沢田太陽など)が用いているのは「小山田圭吾被害者との間には友情が成立していた。小山田圭吾には害意や悪意は無かった。だから小山田圭吾のしたことはイジメではない」という論理である

 小山田圭吾擁護しているサブカル業界人には「いい歳をした中高年の男性たち」が目立つ。それとは対照的に、小山田圭吾擁護する女性の姿は殆ど見られ無い。小山田圭吾に対する態度には、男女の差がある。

 その理由は、大きく分けて2つある。

 一つは、そもそもサブカルマスメディア現場では、昔も今も男性中心主義の体質が極めて根強く、編集長幹部編集者を務める女性の数が圧倒的に少ないということである。それが、Quick Japan(QJ)やRockin' On(RO)に掲載された小山田圭吾いじめに関する記事当事者として証言する女性の数の少なさ、小山田圭吾村上清を擁護する女性の数の少なさに反映されている。

 もう一つの理由は、現代日本で暮らす多くの女性にとって「性的強要/セクハラ/ストーカー/DV/性的犯罪」による被害が、深刻かつ身近な脅威として存在していることである。これらの犯罪加害者被害者に対して一方的好意を抱いていたり、その感情被害者に対して告白するのは、頻繁に見られる現象である。このような経験知識は、男性よりも女性の方が豊富である。したがって多くの女性は、加害者側が被害者に対して一方的好意的な感情を抱いているからといって、それが犯罪の加害性を免除したり正当化する理由になど成り得ないということを知っている。だからこそ、北尾修一らが用いる「小山田圭吾被害者に対して好意的な感情を抱いていた(だから、アレはイジメではない)」などという詭弁肯定する女性は少ない。

 北尾修一らが発表した、加害者側の一方的かつ身勝手論理に基づいて小山田圭吾擁護しようとする記事は、現代においてもサブカルマスメディア男性中心主義巣窟であり、女性存在蔑ろにされていることを強く示唆している。

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