今の50代、60代にとって結婚や異性との付き合いというものは、20を超えたらすぐにするもの
と言うのが常識だった。今考えるとそれは少し「早すぎ」だったのかもしれない。
そういう両親を見て育った子供の世代は、逆にその反省から20代を新しいモラトリアムとして消費し、30代になってから考える、と言うのが進んだ考えだったわけだ。
しかし結果として、30代で結婚を考えるのは「遅」かった、というのが結論だろう。30代は焦り、結論を先送りにした代償から目を背け
結果的になってしまった「独身」を自ら選び取ったものとして過去を改変した。これは日本だけで無く、寧ろアメリカや西欧から輸入されてしまった社会情勢である。
「結婚を急かす親・親戚」にガツンと言った系がバズる。現代は多様な生き方が認められるべきだ、子供が居なくても良いと。結婚しても不幸な家庭はあると。
しかし結婚して不幸になるのはパートナー選びの失敗の結果だ。自分が結婚しない理由にはならない。
結婚しない人間、子供の居ない人間は、人1人社会に送り出す甲斐性のない人間として社会に位置付けられる。これは正しいか正しくないかではなく、事実としてそう見られる。
Twitterで流れる安っぽい「多様性」の賞賛は、決断を先送りにして自分の人生を浪費している人間には優しく映る。自分の肩を優しく叩いて慰めてくれるが、その先の面倒は見てくれない。
「ADHD」だとか「発達障害」への優しい言葉も同類だ。今の自分を肯定してくれるかもしれない。
まだTwitterをやっている層は若いから許される。彼らは強者の中の弱者だから優しくしてくれる人がいる。
しかしそう言った発言に甘えて歳を取った結果、本当の弱者になった時、その声は声として認識されない。面倒を見てくれないだけじゃない。誰も慰めてくれないただの地獄になる
しかし結婚して不幸になるのはパートナー選びの失敗の結果だ。自分が結婚しない理由にはならない この理屈がよくわからない。結婚の失敗には精神的・経済的・社会的リスクが伴う...