2019-08-17

anond:20190816013733

さっき別のエントリー↓を書いた後にこれ↑(「ただ未熟なだけだった。」)を読んだ。

https://anond.hatelabo.jp/20190817173247

傷つかない側の人が傷つく側の人を非難することについて、さっきのエントリーでは書けなかったので書いてみる。

暴力的に封鎖されたからこそ、自分たち意図が誰かに対して暴力的ではないかと自問し続けなければならないのであり

それがただの芸術からといって暴力ではないと直結するのは、単純すぎるだろう。

文章だって動画だって、誰かの個人を直接攻撃していないとしても、暴力的な衝撃を受ける場合もある。

天皇慰安婦関係作品については本当にこれで、それを見た人によって感情の揺さぶられ方、傷つき方が大きく異なることを無視しては議論にならない。

国家神道形式的には廃止されたが、もっと原始的宗教以前のもの、心の拠り所として皇室を大切に思っている日本人は多い。それをぞんざいに扱われる表現は、たとえどんなコンテキストがあったとしても、それとは別にショックを受ける人がいることは考慮しておくべき。悪魔の詩事件は狂信的に過ぎるとしても、ソニーCM涅槃仏をゴロ寝の表現として使って大きな反発を受けた件などと共通する、宗教(的なもの)に対する想像力配慮のなさが問題

慰安婦像は、名目としては平和の祈願である点がややこしい。

これが戦時中に作られたものであるならピカソゲルニカ比較に出しても良いだろう。しかしながら日本政府慰安婦問題謝罪を求める目的韓国挺身隊問題対策協議会の依頼により2011年以降に作られた一連の像である、ということで大分立ち位置が違う。

これが日本政府に向けられた(日本国民ひとりひとりに向けられたものではない)社会運動であるとしても、自分たち戦争犯罪者の息子たちと言われているように感じて傷ついてしま日本人がいるのはどうすればいいのだろう。

いずれも「天皇写真宗教的な意味はない」「これは平和の像である」「非難されているのは日本政府であり日本国民ではない」という正論は成り立つ。しかしながら、傷つかない側の人が傷つく側の人を正論非難するのが正しいこととは思えない。

記事への反応 -
  • 津田大介による詳細なお詫びと報告のエントリーを読んだ。 あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」に関するお詫びと報告 https://medium.com/@tsuda/%E3%81%82%E3%81%84%E3%81%A1%E3%83%88...

    • さっき別のエントリー↓を書いた後にこれ(「ただ未熟なだけだった。」)を読んだ。 https://anond.hatelabo.jp/20190817173247 傷つかない側の人が傷つく側の人を非難することについて、さっき...

    • 今回の表現の不自由展の顛末、特に津田の言わんとする意味を理解するには、実行委員が何者なのかを理解する必要がある https://anond.hatelabo.jp/20190816075140 今回は、あらゆる芸術の表現...

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