twitterでよく、「子供は泣くのが当たり前!電車ではみんな冷たい!海外ではみんな笑顔!」みたいな言説見かけるじゃん。
ああいう自分の事しか考えていない話が嫌いでさ。そもそも子供に優しくしてほしいなら子供が貴重な田舎でも行ってろよ、迷惑かけてるんだから開き直るなよ、おめーも自分の真横で四六時中泣かれてイライラしてんだろ?
自分が嫌な事を他人に押し付けるなよ。その子供は俺の役に立つのか?子供は昔と違って公共物でもないし、すぐ国外脱出とかするんだろ?俺が気を遣う必要全くねーだろ。
ってぼーっとしつつぷりぷり怒りながら犬の散歩してたらさ、犬が急に道の途中でうんこし始めてさ、トラックが来て、
俺は慌ててどけようとしたけど踏ん張ってるから犬うごかないの。
そしたらトラックのおっちゃんが大声でキレてさ、一瞬身構えたんだけど。
何言ってるかと思ったら、
って笑いながら言ってたの。
なんかそれ聞いて不意に涙出そうになったんだよね。
犬飼うって完全にエゴじゃん。別に成長しても税金納めるわけじゃないし、公共物の道路にうんことおしっこの痕跡を納めるくらいだし。
トラックのおっちゃんには全く非がないわけ。ちゃんと仕事してるわけなのに。
でもトラックのおっちゃんは、犬の可愛さに免じて許したわけだよ。気を使って笑ってもくれた。
その瞬間、ぷりぷり怒ってた自分がクソ恥ずかしくなって。糞ださいじゃん、俺。自分の事しか考えてない糞野郎じゃん。
その時から俺は、電車で子供が泣いても、ちょっと子供に向かって笑いかけてみたりするようになった。
twitterで怒りのツイートしてるママ見ても、まぁストレス溜まってるんやな、って流せるようになった。
たぶんそういう怒りのママも、他人の優しさとかに触れる事無くふさぎ込んでるんじゃないかって思う。
優しさって伝染するもんじゃないかって思った。直接帰って来たりすることは少ないけど、確実に広まってるんだと。
怒りのツイートより何千倍も心に響くもんなんだなって思った。
と同時に、今考えると、あの時俺が「犬が糞すんのは当たり前だ!とまれ!」みたいな態度してたらどうなったろうかと思う。
自分で言うのもあれだけど、俺が申し訳なさそうにしていた、一種の「優しさ」を見せたからおっちゃんもそれよりずっと大きな「優しさ」を返してくれたという見方もできると思うんだ。
ドライバーのおっちゃんみたいな「優しさ」は難しいと思うけど、周りの優しさを当たり前と思わない。それも一つの優しさだと思うんだ。
「イクメンぶるな」とか「専業主婦は楽なんだから偉ぶるな」とか、まぁ色々対立の多くて怒りを振りまく機会の多い現代だけどだからこそ、当たり前を当たり前と思わない事って大事なんじゃないかと思う。
自分の間違いを正して、世界を良くしようと行動できるの本当に素敵だと思う。 俺も今日はお前に倣ってしゅりで抜くわ。
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こういう増田はいいな