2016-04-20

死んだほうがいいやつは、死んだほうがいい

境界性人格障害と付き合うと不幸になる。

差別といわれようが、なんであれ、事実として境界性人格障害の良い面は1つとしてありません。

似たような文脈で、例えば

事実として、被差別部落出身者と結婚すると苦労する」

事実として、生まれた子が障碍児だったら苦労する」

とも言うことが出来る。

それが差別主義者だというならば、私は差別主義者かもしれない。

それはさて置き、境界性人格障害だけは関わってはいけない。

境界性人格障害と関わるくらいなら、部落差別障害を持った子供もたいしたハンデでもない。

差別主義者といわれようが、声を大にして言いたい。

例え部落差別があったとしても、世間が敵になるだけだ。

例え生まれ子供障害を持っていたとしても、手間暇が増えるだけだ。

夫(あるいは妻)が敵になるわけでも、子供が敵になるわけでもない。

境界性人格障害は、相手を全力で壊しにかかる。

可愛さ余って憎さ百倍を、短い周期で繰り返す。

2ついいことがあり、2つ嫌なことがあると、普通の人なら、差し引きゼロと考える。

境界性人格障害は違う。

掛け算して-4になる。

愛情と憎しみを交互をぶつけて相手を壊しにかかる。

指数関数的に増えた憎しみをぶつけられると、遅かれ早かれ壊される。

議論無駄だ。

「私がこんな気持ちにさせられてるということは、私は被害者からあなたが悪い」

という理屈をこねる。

もちろん、こんな単純ではないが、非常に賢く、一見筋が通ったような理屈を立てるので騙されてしまうが、つまりはそんな理屈なので、境界性人格障害絶対に折れない。

無視しても無駄だ。

子供かまってちゃん行動を、大人の知力と行動力で全力で行う。

自殺示唆してでも、相手無視はさせない。

そして無視を解いたが最後、再び相手を壊しにかかる。

境界性人格障害とは、人間として付き合うことは出来ない。

彼、彼女らがどんなに悩み苦しんでいようと、近寄ってはいけない。

共感を示してはならない。

所詮、悩みなど自分で解決するしかないのだ。

お前らの痛み苦しみなど知ったことか

「折れた足をいじられると彼は痛いが…わしは痛まない…!カイジくんも痛くはなかろう」

人の痛みや苦しみを共感出来るなど幻想だ。

共感を強いる境界性人格障害もの行動こそが暴力だ。

恋愛は自立した個人の高等遊戯だ。

自立出来ないうちは、ママおっぱいでもねだっていてもらいたい。

死にたいなら死ねばいいと思う。

死んだほうがいいやつは、死んだほうがいい。

  • 記事を読んで、気になって、境界性人格障害を調べたら、 オレ、結構、当てはまってるんだけど。 どうしよう。今までの人生の中で、全然気づかずに生きてた。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん