「3月のライオン」の評判がよいので、10巻まで一気読みしたんだけれども、川本家のあかりさんには違和感しかない。
中学生と幼い妹2人のお母さん役を黙って受け入れる23歳っているわけなかろう。
あかりさんの欲望や人生設計が全く見えて来なくてとても不気味だ。
このままではあかりさんは妹達を育てた後は急に老後になってしまうんじゃないのか?
そもそものところ、川本家のように破綻した家で育った家の子どもというのは、なかなか素直ないい子ちゃんには育ちにくい(傾向がある)。
表面的にはまともに育ったとしても、他人の家との比較をして、どうして自分だけこんな運命の元に産まれてしまったのかと世を憂うなどしてどこかひねたところがあるのが普通だと思う。
それなのに、川本家の三姉妹にはまったくひねたところがないとてもよい子ばかりだ。
妹達が素直に育っているのは、あかりさんの存在があるからかもしれないけれど、じゃあ、あかりさんは何を心の拠り所にして育ったのだろう?
思春期の時期に、父親が家庭を捨てて出て行くのを見る、母親の死を看取る。そういう大きな事件があっても心を強く保って生きていけるほど、人間って強いものだろうか?
さらに、違和感があったのは、10巻で出て来たダメ父親の対応を外部者の桐山くんにさせてしまうところ。
こういうダメ父親のような家族の恥部は、かなり親しくなったとしても家族の外のものに見せないものじゃないのか。
作者は、桐山は川本家に入り込んで信頼をおかれているから桐山に対応させているというストーリーにしているのかもしれない。
それにしては、それまでの話で良いお姉さん兼お母さんであったあかりさんが桐山くんにこの家庭の恥部に巻き込むというのはちょっと変だ。
私自身、ダメな親がいるのだけれど、この親については結婚相手にも伝えていない。
親しい友人にも話した事は全くない。
できるだけ私は普通なんだというように振る舞っている。
多分、私はこの作者と合わないのだと思う。
この作者は話を盛り上げるために、特に必然もなく、登場人物をやたらといじめているような展開の仕方をしているように感じてしまう。
フィクションなのだから登場人物がどんなひどい目に遭っても作者次第だとは思うのだけれど、そこに必然性やリアリティを感じられないとダメなんじゃないかと思う。
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