このままの調子で頑張っていくとどうなるかが大体見えて、最大限頑張った状態でもあまり楽しくないであろうことがわかってしまった。
そうすると、天下国家を論じたくなったりする。自分の足元が変わるためにはもう前提条件が変わんないといけないわけだ。
ああ、これが「希望は戦争」とか「あべしね」って言い出すのにつながるような気持ちなんだなあ。
私の場合は、ISILに金をくれてやれとかISILにも言い分があるなんて言い出す奴は人類の資格がないから皆殺しにしてしまえ、と発言する形で噴出するだろうと思う。
日本的左翼というか安保反対学生運動からのサヨの流れってのは、弱者を見つけ、そいつの味方面をして無敵モードを手に入れ、そいつの敵をぶったたきまくって気持ちよさを手に入れることの繰り返しらしい。佐々木俊尚が「マイノリティ憑依」とか名前を付けてたやつだ。
部落解放運動も成田空港訴訟もアイヌも沖縄の基地反対運動も、「お前関係ないだろ」ってやつが湧いて出たやつの動きは全部これで説明できる。
(アメリカ的サヨだと未開っぽい相手を見つけて啓蒙してさしあげるため寄り添いに行って「やーい土人土人、私ってなんて進んでるのかしら」ってやるので全然違う日本的なものだ。)
日本サヨ的感覚からみると、絶対強者アメリカの空爆を受けてる時点で「やった!弱者発見!」であり、「弱者の立場に立てばアメリカをぶったたけるぞ!」なので当然ISILの側にたってアメリカはおろか全世界をぶったたこうとするのね。
ISILは近所のイスラム教徒を殺しまくってるっていうのは理解しないんだ。だってそのイスラム教徒は多種多様でいろいろな団体を形成しているから、まとめてひとつにして味方面をするのが難しいし、味方になっちゃうとアメリカに反抗してぶったたけないもんね。巨大なものの側には死んでもたちたくないんだあいつらは。大きな力を持つと責任が生まれてしまうから、つまり無敵じゃなくなっちゃうからね。