2014-01-12

食の崩壊

野菜果物健康である」という言説は、日本でも少なからずあるが、欧米ではさら一般的だ。しかし本来は、必要から食べたくなるものだ。運動量が多ければ摂取カロリーは増えるし、過激な運動をして筋繊維が壊れれば肉を食べたほうが回復が早い。野菜果物が「健康的な食べ物であるわけではない。

そもそもの問題は、現代人の多くは運動不足であるのに、カロリーを摂り過ぎたり、肉や脂肪を摂り過ぎたりしている。

なぜ食べたくなるのか? また、なぜ食べてしまうのか? その2つの視点必要だと思われる。

まず、なぜ食べたくなるのかというと、おそらくは、精神的な負担が恒常的に蓄積し過ぎているからだろう。本来の野生のすがたであれば、多くの場合は肉体的負担精神負担一定相関関係があり、肉体的疲労が食欲につながる。だが、現代人には、精神的にばかり披露していて肉体的な疲労が蓄積していない人が多い。その偏った精神的疲労にあわせて食欲が出るから、肉や脂やカロリーが欲しくなるのだろう。典型的には、脳の疲労が激しければ、甘いもの、つまり糖質が欲しくなるのだ。糖質は、脳への即効性が高い。

つぎに、なぜ食べてしまうのかという観点では、社会環境があると思われる。加工食品外食産業経済において、経費節減の点でも、また依存性が高い=継続的収益につながるという点でも、淡泊なものよりも、油物や甘い物や肉などを売る。そういう社会環境にいたら、おのずとそれらを口にするだろう。

また、パンやスナック菓子などの原料である穀類は、生命エネルギーの基盤となる炭水化物であるため、栽培野菜のような贅沢品よりも優先して生産供給される。そのことで結果的に、先進国では炭水化物典型的にはスナック菓子のような揚げ物のほうが廉価になり、野菜のほうが高価になる。先進国では、貧困なほど摂取カロリーが過剰で肥満が多い傾向にある、それは単に貧困=無教養だということではなかろう。

より本質的なことを言うとみもふたもないかもしれないが、そもそも我々はヒトという動物であり、この動物自分自身)をいかに健康的に「飼う」かという課題なのである。その観点が欠落して、自我肥大化して自意識過剰自己中心的な知覚と思考のなかにいると、複雑怪奇で過激な社会環境に振り回されている我々は、その社会環境の影響を受けて自己の欲望も複雑過激になり、その欲望に振り回されてしまう。それが例えば食習慣の崩壊につながってしまうのだろう。

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