あるのかな?
感受性の強さというのはものごとから芸術性、メッセージ性を受け取りやすい性質なわけだけど、これは別の側面から見ればある意味影響されやすさ、傷つきやすさにも繋がるわけで、この情報化社会で一つ一つの情報にいちいち影響を受けてたら一貫した言動を貫くのが難しくなってくると思うんだよね。
俺なんかがまさにそれ。もう影響されまくり。はてブを見てても炎上記事を見てなんとか一言言ってやろうとコメント考えたり、料理のエントリーを見ればこれ週末作ろうかななんて思っちゃうし、ライフハック系で自己啓発のエントリーを読んだら俺も今後は嫌なやつ見たらこうやって対処しようなんて思い、見ないと損する映画10本、なんてエントリー読んだら週末TSUTAYA行って4本くらい借りてしまう。借りる瞬間は土日使えば全部見れるだろと思ってるけど、経験上全部見れたことは一度も無い。
その時は良い記事だからずっと続けようと思うけど大抵続きはしない。三日坊主どころか一日も続かない。ひどい時は何も行動を起こさずに忘れる。だって次の記事読んだらすぐそれやろうって思っちゃうんだもの。
俺には人生の大きな目的があって、それに向かって邁進しなければならないのに、雑多な情報にすぐ影響されて軸がどんどんブレていく。
ネットははてブだけじゃない。情報ツールは山ほどある。Facebook、Twitter、Line、YouTube、ニコニコ動画。ネット以外でもテレビ、ゲーム、ラジオ、本、映画。いろいろ見ていたい、新鮮な情報に触れていたい。時代遅れな人間にはなりたくない。でもダメだ、こんなんじゃ。一日は24時間しか無いんだし。
やっぱり情報を遮断するしかないのかな。以前は「俺テレビ見ないんだよね」って言ってる人に対して何かっこつけてんだよ、って思ってたけど今は何となく分かる。人生に大きな目的がある人間は、自分の感受性の高さを認めつつ雑多な情報に無駄遣いしたくないんだろう。現実的な方法だとは思うけど、初期値が間違ってたら時間が経って大きくブレそうな予感がする。
それか情報を見る時の脳内フィルタリングをうまく作り上げるとか。自分基準の良し悪し、好き嫌いを明確にして無視すべき情報について考える時間を早めに遮断する、とかね。でもそれが俺個人にとって正解かどうかは一生わからなそうだなあ。というか昔そういうエントリーを読んですぐ忘れた記憶が・・・。
一年のうちに情報収集期をつくればいいんでない
「ぶれない」を「学習しない」にすると、本末転倒ですな。「学習を超える」が正しいね。