「ぶれない」を「学習しない」「なにも変化・反映させない」と解釈してしまうと、本末転倒ですな。「学習を超える」が正しいね。
どっかからの逸話を引用「足した容積がここにあるバケツとほぼ同じ『大きな石・中くらいの石・小さな石・砂利・砂』これを、このバケツ全部入れるにはどうやったら入れられますか?」あなたも、人生において、この話でいう大きな石が何に相当するのか先に決めてしまうことをおすすめします。先に大きな石を入れたら隙間に小さいものは入りますが、先に砂や小石を入れて下に敷いてしまうと、大きな石が入りきれなくなりますよ。で、細かな小さいことは小さいことと認識して、先に入れてある大きな石の隙間にでも入れれば良いではないですか。
あるのかな? 感受性の強さというのはものごとから芸術性、メッセージ性を受け取りやすい性質なわけだけど、これは別の側面から見ればある意味影響されやすさ、傷つきやすさにも...
「ぶれない」を「学習しない」にすると、本末転倒ですな。「学習を超える」が正しいね。
一年のうちに情報収集期をつくればいいんでない