正確に言えば診断はついてない。というか、私が子どもの時は発達障害なんて言葉自体がなかった。
だけど、今思うとADHDだったと思う。
小学校の頃から、授業中は先生の話なんてろくに聞かず、教科書に隠してこっそり好きな本を読んでいた。そのうち読書に集中しすぎて「こっそり」することも忘れて堂々と読みだして、先生に怒鳴られてもしばらく気付かない。肩を叩かれて自分が怒られていることに気づくと、教室を飛び出して、図書室に立てこもって悠々と読書の続きをしていた。
宿題はほぼ必ず忘れ、体操着や弁当も忘れ、通学路で興味あるもの(アリの行列とか)を見つけると何時間も観察し続けて遅刻する。そんな調子なので、いじめのターゲットになったこともあったし、母はよく担任に呼び出されて謝っていたし、迷惑かけたと思う。
ただし成績は良いほうだった。いつもクラスで2、3番目だった。うっかりミスが多くて1番にはついぞなれなかったけれど。
状況が変わってきたのは高校生ぐらいからだ。進学校には変わり者がたくさんいて、変わり者を許容する文化があった。私は「まあ確かに変わり者だけど、よくいる程度の、そう珍しくない変わり者」ぐらいの扱いで、普通に友達もたくさん出来たし、友達と遊んでいるうちにコミュニケーション力も鍛えられていった。
大学も似たような状況だった。私は「たくさんいる変わり者の中の1人」という位置で、特に差別されることもなく、人並みに恋をして振られたり、サークル内の派閥争いに巻き込まれたり、ごたごたしつつも他人との関わり方を鍛えられていった。
今では、人より少し忘れ物が多くて、多少珍しい趣味を持っている程度の、普通の社会人だ。希望の職に就くことも出来たし、好きな人と結婚することも出来た。はっきり言って、幸せである。
自分の遺伝子を継ぐ子どももぜひ欲しいと思っている。まあ、小学校くらいまではいろいろ大変だろうとは思うけど(担任に呼び出しをくらう覚悟は出来ている)、私は自分が生まれて本当に良かったと思っているし、産んでくれた親にも感謝している。
って言ってる人が時々いるけれど、発達障害でも幸せになれるケースはいくらでもあるし、障害がなくても不幸になるケースもたくさんあるだろう。
私のような例もあるってことを知って欲しいと思う。
自称発達障害者って反吐が出る。診断まともに受けてから言えよ。ウェブテストでわーい高い点数が出たーこれで僕も悲劇の主人公ぶれるぞーとか喜んでんだろうな。
無理やりレイプされた奴の前で、売春ビッチがあたしもいやいややってるんだよねーと言い出す、みたいな。