日本人は風邪で熱があっても会社を休まないという風潮があり、それはおかしなことだそうだ。
なぜ日本の風邪薬は、無理することが前提になっているのだろうか - 脱社畜ブログ
http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2012/12/11/212333
熱があっても会社に行きましょうというのは、たしかに周囲の社員にとっても迷惑だし、行かないと壊れるデカイ商談とかが無いかぎりまともな会社は休めると思う。
いや、多少まともじゃなくても休める。少なくとも今まで働いた会社で、熱が出ても休めないところは無かった。
病院に行って診断書もらってこいって言うところはあったけど。
とはいえ引っかかる部分はそこではなくて、よくこういう話で出てくる「日本人は」っていう言い方だ。
今日久しぶりにカフカの『変身』を読んだんだけど、最初のほうにこういう文章があった。
支配人はいった。「たいしたことでないといいんですが。とはいえ、一面では、われわれ商売人というものは、幸か不幸かはどちらでもいいのですが、少しぐらいかげんが悪いなんていうのは、商売のことを考えるとあっさり切り抜けてしまわなければならぬことがしょっちゅうありましてね」
ちなみにグレゴール・ザムザは毎日朝5時の汽車に乗って会社に向かうそうだ。
彼の通勤する会社の店舗は朝7時前に開店している。上のシーンは7時10分に支配人がグレゴールの遅刻をとがめにやってきたシーンだ。
周知のように、この時点でグレゴールは一匹の甲虫に姿を変えており、ベッドから起き上がれないでいる。
もちろんここには誇張があるだろう。グレゴール・ザムザは特に忙しいビジネスマンとして描かれていて、この会社は特にブラックな会社というわけだ。
でも基本的な問題として、こういう生きづらさをカフカも感じていたのは確かだろう。
カフカはプラハの労働者傷害保険協会で死の2年前まで働いていた。
結局のところ、精神的な意味でも肉体的な意味でも、人間的な生活をなげうって働かねばならないという風潮は、洋の東西を問わず100年前から続いている。
もちろん国によって程度の差はあるだろうし、実際に毎日午後はシエスタを2時間楽しむ人もいるだろう。
でもそれは日本でだって同じことだ。日本だって、熱があるのに出社を要求される会社が普通なわけではない。
重要なのは、100年前から「それは異常だよ」って言ってるのに、まるでこの風潮が無くならないことだ。
異常なのは確かだけれど、声を上げても究極的にそうした雰囲気は無くなりはしないだろうし、誰かのせいにしてみたところでその誰かがいなくなってもこの風潮は続くのだ。
「100年前からそうだった」というより、 「日本は(日本だけは、とは言わない)現在でもまだ抜け出せていない」と考えるべきなんじゃないかな。 産業革命時代の労働が悲惨だったのは...