2011-10-03

スウェーデン理想的な福祉国家だったが

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スウェーデンの福祉今と昔:

「貧しい人達の家」からサービスハウス廃止まで、その歴史を簡単に記載します。

1920年代

1918年に、貧困介護法が新しく制定されました。そしてまず国がしたことは、高齢者のために特別住宅計画を立てました。「貧しい人たちの家」と呼ばれた、いわゆる現在高齢者住宅施設の初期のものであり、建築基準や設備の基準もだんだん改善されました。

1950年代

高齢者住宅の基準がさらに改善され、家庭介護援助(現在ホームヘルパーの前身)を受けることにより、自分の家庭で生活が出来るようにしました。ただし、病人または重度の身体障害を持つ者は、以前から医療手当てを病院で受けていました。

1960年代

高齢者身体障害者への福祉施設に対する社会的見方が、病院治療を主体とした考え方から、個人に必要な介護や擁護はなにかを考えるべきだと変わってきました。それは同時に高齢者住宅施設の見方も変えました。そしてサービスハウスと呼ばれ、それは介護職員がいて必要な時に介護が受けられる、しか自己管理の生活ができるアパートが多くなりました。

1970年代

ホームヘルパー組織設立され、身体障害のある者に対する、補助器具センター改善されました。身体障害のある人も、自分アパートで生活できるようになりました。

1980年代

社会福祉援助法が設立され、援助を必要とする者および障害者等に、ノルマリゼーション、自己決定などについて、コミューンの福祉事務に位置付けることになりました。コミューンによるグループホーム管理が進められました。同時にサービスハウス、シュークヘムの建設は少なくなり、その反面、施設ではなく家庭で高齢者が、介護医療治療を受けることにより生活出来るようにしました。

1990年代

経済不況が続きました。そして医療部門を除いた介護部門が、国からコミューンに移籍されました。(1992年のエーデル改革)。当初は高齢者のために、特別住宅が新しく建設されたり、従来の施設が改造されました。しかし、これらの住宅は、痴呆高齢者身体障害者のための施設となりました。

コミューン高齢者が家庭で生活できるようにと計画ししましたが、現実には例えばアパートにはエレベーター設備無いとかの問題が多くなり、改善されないまま今日にいたっています。これは同時にサービスハウスに住んでいた時は、ヘルパーの援助により散歩や買い物など外出できたのが、車椅子利用の高齢者障害者は外出が出来なくなり、一日中部屋の中に閉じ困れるという状況となりました。これは同時に高齢者が、家庭介護を受けて生活出来る可能性を困難にしました。

2000年代

高齢者特別住宅サービスハウスグループホーム等)の廃止が、早いテンポで進められています。これは同時に家庭介護ホームヘルパー)が増加し、家族負担も増加しています。一人住まい高齢者社会から孤立させられ、高齢者および身体障害者への福祉待遇は、悪化への道を進み始めました。

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http://fukushi-sweden.net/welfare/fukusi.joho/2005/faktaservicehus05.html

http://fukushi-sweden.net/welfare/fukusi.joho/kazoku.kaigo.hakai.04.html

スウェーデン理想的な福祉を提供している国として神格化されていた

でも、それは昔の話

経済不況とともに理想的な福祉が提供できなくなり、民間への委託など、福祉受給者への待遇悪化など切り下げが始まっている

http://fukushi-sweden.net/welfare/fukusi.joho/homeless.html

そして、驚いたことにスウェーデンでもホームレスがいる

政府宿泊所を作ろうとしているが、周辺住民の反対にあい頓挫してしまった

  • ぶっちゃけ「理想的な福祉」なんつーもんはコストが限りなくゼロに近い全自動介護ロボットとかができないと不可能だと思う。 たまたま経済が成長してるときは適当にちょろまかして...

  • 職業訓練校の事情を聞いてもわかる。 学校は能力開発機構から補助金がっぽりとって、 就職率あがらない理由を適当にお役人に説明しときゃ、お仕事はおわぁり。

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